壺井八幡宮再建の記
昭和62年頃、多田神社での会合の折りに、壺井八幡宮の故・高木保生宮司さんが私の席に来て「一度、壺井八幡宮に来て欲しい」と言われたので、余り気が進まなかったが一人お参りに寄せて頂いた。
高木宮司さんに案内されて神殿を見て、「びっくりのお化け屋敷やないか。」、「こんな所に神様が居られる訳が無い・・・どうすりゃいいのか?」と考えながら案内される儘、境内をあちこち見て回った。
神社の正面、参道の石段の所に行くと、かなりな急勾配の上、石積みも乱れ、上るのは何とか登れても、下りる時は怖くて足がなかなか出ない。一歩足を踏み外すと下まで転げ落ちる危険性がある。このような状態では参詣する人も居ない。
先ずはこの石段の修復からするべきであろうと高木宮司さんと話し合い、結果として私が自費でこの石段の修復を行うこととした。
そして、石段の修復が完成すると、次は境内の整備。手始めとして境内にある大楠を「『大阪みどりの百選』(大阪花万博記念事業)に通したい」と、高木宮司さんから提案を受ける。何でも500名以上の署名があれば当選するらしいので、ご協力をさせて頂き、私一人で550名分の署名を集めて当選を果たした。
参道・境内と整備が進むと、次は当然御神殿の建て替えを考えなければ成らない。費用は軽く3億円は掛かるらしい。「どうすれば3億円の資金が出来るのか・・・」
法律では古い社殿の柱を一部継ぎ足して再利用すれば、国が幾分か補助を出してくれると言うので、壺井八幡宮の地元大阪4区の国会議員でもあり、清和源氏の子孫である塩川正十郎氏が居られるので高木宮司さん共々、自宅までお願いに出向いたりもした。幸い塩川氏も快く協力頂き、神殿建て替えの事業も順調に進んで行った。
神殿の建て替えも整い、境内に幟を揚げるポールを7本準備した。1本は国旗用とし、6本は山名氏をはじめ、武田氏・徳川氏・足利氏等の清和源氏各氏の幟を掲げる為だ。山名氏の幟は2枚作成して奉納させて頂いた。
参道・境内・神殿と整備や改修が整い晴れて竣工披露の式典を迎えることとなった。
私としては清和源氏の流れを継ぐ山名氏後裔の一人として石段整備以降、壺井八幡宮の改修整備事業に人一倍力を傾け、この数年我が事以上に、神社の整備発展を願い励んで来たつもりであったので・・・晴れて迎える竣工の式典には大きな感慨があった。
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