山名氏八百年を語る
8月8日付、読売新聞関西版「謎解き京都」の紙面で、「応仁の乱」に関連した特集で「三つの幕府を生き抜いた一族」と題して山名年浩会長のインタビュー記事が掲載されました。
インタビューの概要は
「宗全公は京の町を戦乱に巻き込んだ一方の旗頭で、武骨という印象が強いかもしれませんが。 しかし、宗全公には先を読む時代感覚がありました。公家に対し『先例にこだわるべきではない』と言ったそうです。 武家の台頭は歴史の必然でした。 1986年、末裔らで「全國山名氏一族会」を設立し、昨春から会長を務めています。歴史学者も交え、古文書や史跡を調べています。 山名氏は清和源氏をルーツに持ち、三つの幕府を生き抜いた由緒ある一族。京都の人にもその功績を知ってほしいと思います。 応仁の乱の遠因にもなった嘉吉の乱で山名一族と戦った赤松氏とは、89年に手討ち式を行い、交流が生まれています。 応仁の乱東軍大将の細川氏の末裔とは、今は交わりがありませんが、仲たがいしているわけではありません。 機会があれば交流を深めたいと思っています。」
この記事掲載により、山名会長の元に幾人か「山名会」への問い合わせがあるようです。少しずつ会員の輪が広がっていることを感じています。
山名館案内看板設置
草山常任理事のご尽力より、高崎市山名町にある光臺寺に山名館の説明看板を設置する計画が進行中です。
光臺寺は山名八幡宮の南東三百メートルの地点に位置し、山名初代・義範公から八代・時氏公までが居住された山名館が有った場所と言い伝えられています。しかし、館時代から受け継がれて来た遺構など、表だって山名氏との結びつきを語るものは残されて居りません。
6月に山名町を訪問された草山常任理事の提案により、この光臺寺の一角に「山名館旧跡」の案内看板設置の話が進んでいます。光臺寺ご住職や地元檀家の皆さんも賛成頂いており、一日も早く看板設置と願うところ。
この看板設置によって、山名町の皆さんと山名会の繋がりが出来、ひいては高崎の山名氏各位が当山名会への関心復活につながればと期待するところです。
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