「仏」と「槍」と「五百年」 anchor.png

山名義範(赤穂・専念寺住職)
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専念寺の前には弥生遺跡がある。田圃から瓦を焼く粘土を掘っていた頃、土器や貝殻、たき火の跡が多く見られた。近くには兵庫県清流一番の「千種川」が流れ、春は鶯や時鳥の声に覚め、秋には鹿の物悲しい声を聞く。風光明媚でJRの新幹線が鉄橋を渡る写真がカレンダーの表紙を飾り、TVのコマーシャルでは西日本への旅が毎回放映されている。

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赤穂周世・専念寺
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赤穂周世・専念寺, 20130826_113903.jpg

二十年前、法雲寺の前住職吉川廣昭氏が遠路但馬から赤穂の専念寺に来られた。
十五年前、赤穂中学校勤務の時、PTAの理事の山名嗣宣(しのぶ)氏と出会う。
十年前、専念寺開基五百年法要の時、山名年浩会長・吉川廣昭氏に臨席を賜る。山名会の総会は第七回(平成四年)の群馬の山名神社から参加。

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播州山名は山名政豊播磨撤退(長享二年)の後、現在地(赤穂市周世(すせ))に一宇の庵を結ぶ。天台宗から浄土真宗(蓮如上人の頃)に転派。寺には一本の槍がある。先祖の墓は三基。庫裏の庭先に時代は不明だが菩提樹の根元に丸石の墓が二基。本堂の南には天保九年(1838)雲華院(頼山陽の師)の碑文の刻まれた墓。
他に境内に大きな銀杏の木と一子相伝の漢方薬がある。終戦後六・七年は定価二十円で近隣の人々が買いに来ていた。漢方薬の成分を友人の医師に聞いたら利尿作用があると教えてくれた。但馬の山名義鶴氏の名は昭和二十三年、衆議院議員だった父から聞いた。私の記憶が確かな内に子や孫に伝えておきたい。
全國山名氏一族会も播州の山名家も絶えることはないと確信している。

「花びらは散っても花は散らない、人は去っても面影は去らない。」

宮田先生同様『山名』は永遠である。弥 栄



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