一、行く雲
太陽、月、星たち、空ゆく雲は悠久の時を刻む。月の年齢は約四十五億年。地球は四十六億年。創世紀以来、動植物が今日まで生き残るには大きくて強いものだけではない。小さくても智恵のある種族が残った。
山名氏には八百年の歴史がある。栄枯盛衰は世の常、個人としてはつつましい暮らしの中に「明るい明日の来る」のを信じて生きて来た。また、「時の試練」に耐え、八百年も存続してきたのは組織としての叡知が結集されたからである。
法雲寺のご住職吉川廣昭氏が但馬から遠路赤穂の専念寺まで来て頂いたのがご縁で山名会の存在を知る。
山名会で学んだことを天安二年から保延元年まで記す。
天安 二年 | 858 | 第五十六代清和天皇即位、在位十八年。 |
貞観十六年 | 874 | 貞純親王生。 |
延喜 九年 | 909 | 六孫王経基初代臣籍、源姓を賜う。 |
安和 三年 | 970 | 源満仲、摂津守。多田氏の始。 |
寛仁 四年 | 1020 | 源頼信。河内国壷井に拠る。河内源氏の始。 |
寛治 五年 | 1091 | 源義家、後三年の役で大功。関東の武士多く旗下に属す。 |
永久 五年 | 1117 | 新田義重生。 |
保延 元年 | 1135 | 山名義範生。(義重長男新田太郎) |
山名会に入会して多くの山名一族の方々に巡り会えた。播州赤穂の山名についてもいろいろ勉強させて頂いた。有り難いことだ。
専念寺の由緒は父から聞かされていたが、多くを伝える間もなく私の二十一の春の未明、その父も他界した。苦しい息の中で『人身受け難し――』と呟きながら。
私は専念寺開基以前のことが分からない。「周世の専念寺はどこから来たのか」。来年長男に住職の座を譲る。山名会で学んだことを息子や地域の人に伝えたい。
山名氏が群馬県高崎市山名町から来たこと。その後『応仁の乱』を経て播磨へ。群馬県→鎌倉→京都→但馬→播磨→播州赤穂へ。この間五百年はかかっている。
私の何故はまだまだ続く。「但馬から何故赤穂の周世へ来たのか」。「何故小隊(家臣36名)だけなのか」・・・まだ分からないことが多い。
二、流れる水
『春風吹大地緑水長流』(雪解けの一滴が大地を潤し大河になる)。広州を旅した時、とある農家の門に掛けられていた看板である。大自然の中に生かされている人間。悠久の時を刻む水の流れは村から町へと様々な恵を与え大海に注がれる。
現代は、人間の都合で木を伐採し、山を削り、田畑を埋めるなど、自然との共存を疎かにしてきた。その結果、異常気象による災害が地球規模で起きている。いつの時代も変えていいものと変えてはいけないものがある。
冒頭の詩のように「春風が吹いて山の雪が解け、その一滴が大河となり田畑を潤す。村里では農作業に余念が無い。人を癒し、文化を育む」。
山は一日にしてならず。山になるには一本の木を植えても百年はかかる。「景観十年、風景百年、風土千年」の言葉の持つ意味は重い。地球も人類も、過去、現在、未来へと続いて来た。自然を今以上人の手によって壊してはならない。
九月八日、三十八年振りの中秋の名月を見た。
『なぜあんなにも月は美しいのだろう。なぜだ?たぶん、月に持主がいないからだろう』。(井上ひさし「芭蕉通夜舟」より)
山名会に入会して十九年、沢庵和尚(1573~1645)が豊国公に贈った言葉を息子らに伝えたい。
山可山非常山 | 山は山でもただの山ではない |
名可名非常名 | 名は名でもつねの名ではない |
有山名之名 | ここに山名という一族がある |
眷其旅派 | その棟梁は |
多田源氏后裔 | 多田源氏の後裔 |
前因州大守也 | さきの因州大守である |
大守謂誰 | 大守誰ぞ謂わん |
東林院殿徹菴公也 | 東林院殿徹菴禅高公なり |
『ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。
世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。』
私は暇にまかせて徒然草や方丈記、枕草子等の古典を読でいる。千年前に書かれた文章と思われないくらい新鮮である。会誌「山名」が継続して発刊できることを祈念しつつ。
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