1: 2011-11-29 (火) 11:58:00 admin ソース 2: 2011-11-29 (火) 13:23:51 admin ソース
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-* 菊池槍 肥後延寿一門造 [#m61b45e6+* 葵紋大筒 [#ma2a10a2
-(きくちやりひごえんじゅいちもんつくり)+(あおいもん おおづつ)
|AROUND TRIGHT:|c |AROUND TRIGHT:|c
-|CENTER:菊池槍&br;&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/webphoto/larges/l00020l4e8681bf7ceb0.jpg,mw:240,菊池槍01);| +|CENTER:葵紋大筒&br;&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/webphoto/larges/h00086h4ed3808105e78.jpg,mw:240,大筒01);| 
- +種子島に伝来した火縄銃は、戦国時代の日本に新兵器として広く広まり、全国に広まるにつれその大きさや、細工など独自の発展を遂げた。 
-南北朝のころ九州でも宮方・菊池氏と幕府方・小弐氏等がはげしく戦った。筑後川の合戦で敗勢になった菊池主従は竹薮に中に終結し、自刃すべく短刀を抜き連ねた。その時、大将の武時(武光)が思い直して、手頃な竹を切り、その短刀にくくりつけて、即席の槍が出来た。 +この大筒は徳川家より下されたものか? 
-皆もそれにならい、一丸となって敵の重囲を破り危機を脱することが出来た。 +重さも実用的と言えるほど軽くなく、細かい装飾も施され、さらに綺麗に残っていることを考えると、実用向きに作られたものではないのかもしれない?
-戦いが終わってから延寿一門に本式の槍1000本を作らせ、自軍の戦法を槍中心に改め威力を発揮したので、「菊池千本槍」として恐れられるようになった。 +
-現存品は少なく、在ってもほとんどが柄を切って短刀に直しているから、本品のような完体は珍しい。 +
-刀剣鑑定の権威・佐藤寒山博士が自ら鞘書をしている。 +
-**説明MP3 [#m7fdaa63] +
-//[[菊池槍:http://www.yamana1zoku.org/uploads/webphoto/photos/y00022y4e8717d625c5c.mp3]]+
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*年代 [#ke2b57bc] *年代 [#ke2b57bc]
-南北朝+江戸時代中期 
*備考 [#bc265911] *備考 [#bc265911]
-甲種特別貴重刀剣認定 
*写真 [#a337f530] *写真 [#a337f530]
-|=槍と言うより短刀の雰囲気&br;&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/webphoto/larges/k00021k4e8681dbbf2cc.jpg,mw:240,菊池槍02);| +|=重心に刻まれた葵紋&br;&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/webphoto/larges/e00083e4ed3807ecda54.jpg,mw:240,大筒02);|=竜の彫り物も目を引く&br;&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/webphoto/larges/t00084t4ed3807f9350f.jpg,mw:240,大筒03);| 
- +|=火蓋周辺のメカニズム&br;&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/webphoto/larges/l00087l4ed38081cc6fb.jpg,mw:240,大筒04);|=左下の小さなボタンが引き金&br;&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/webphoto/larges/x00088x4ed380833035d.jpg,mw:240,大筒05);| 
-*QRコード [#c8d7ca9b] +[[その他の写真>http://www.yamana1zoku.org/modules/webphoto/index.php/category/18/]]
-&ref(菊池槍.gif);+
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