竹田城見取図 anchor.png

竹田城見取図
竹田城見取図, 101.jpg

竹田城別名を、山上に虎が伏せた様な状景から「虎臥城」とも。
山名持豊の命によって築城され、太田垣光景が初代城主、以降山名四天王の太田垣氏が歴代城主を務める。
生野銀山にも近いこの地は室町時代から山名・赤松が播但に分かれて、この地を境に幾度となく争ってきた。

戦国時代には豊臣秀吉の但馬征伐によって、但馬山名は終焉を迎え竹田城も羽柴秀長が城主となる。
その後、城主は桑山重晴、赤松広秀と代わり、現在の城郭を完成させたのは赤松広秀といわれる。

関ヶ原の合戦後、広秀は鳥取城攻めに加わるが、城下に火を放った咎により家康から切腹を命ぜられ、竹田城は廃城とる。
この竹田城の受け取りに出向いたのが山名豊國(禅高)と言われる。
山名氏にとっては、因縁浅からぬ竹田城といえる。

Page Top

年代 anchor.png

原図には「弘治2年(1556・城主:太田垣朝延の代)現図」を出石の中山東華が複製したものと記述がある。
この見取り図自体はは平成元年に複写刊行したもの。

Page Top

備考 anchor.png

竹田城は近年、雲海に浮かぶ様から「天空の城」とも言われ、写真撮影に・登城に人気を博している。
中腹駐車場の脇に山名赤松供養塔が有る。

Page Top

写真 anchor.png

102.jpg103.jpg
Page Top

「竹田城見取図」 の復刻発行 anchor.png

山名氏の有縁者を中心とする歴史親睦団体、全國山名氏一族会(略称:山名会)では、来る11月13日に京都華頂大学「華頂ホール」を会場に実施する第23回山名会総会(及び、山名会歴史講演会)の記念資料として、『竹田虎臥城見取図』(以下:見取図)を28年ぶりに復刻刊行致します。(限定400部)

復刻版「虎臥城見取図」(原画:中山東華)
復刻版「虎臥城見取図」(原画:中山東華), 1161.jpg
詳しくは山名会​/活動​/H28山名会総会​/虎臥城見取図をご覧下さい。


Front page   Diff Backup ReloadPrint View   Page list Search Recent changes   Help   RSS of recent changes (RSS 1.0) RSS of recent changes (RSS 2.0) RSS of recent changes (RSS Atom) Powered by xpWiki
Counter: 3410, today: 1, yesterday: 0
Princeps date: 2012-07-05 (Thu) 16:13:09
Last-modified: 2022-12-11 (Sun) 16:12:44 (JST) (766d) by admin