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山名家譜 巻之一 のバックアップ差分(No.13) :: 山名氏史料館『山名蔵』のページ

xpwiki:山名会/刊行物等/山名家譜/巻之一 のバックアップ差分(No.13)

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12: 2014-08-04 (月) 10:11:32 admin[6] ソース[7] 13: 2014-08-05 (火) 09:36:39 admin[6] ソース[8]
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  八日に落飾あり法諱(ほうき)素貞と言う戒師は   八日に落飾あり法諱(ほうき)素貞と言う戒師は
  宗縁僧正なり同四年庚子十二月四日円覚   宗縁僧正なり同四年庚子十二月四日円覚
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 +一、抑も山名家は清和源姓にして新田氏の流を汲む由緒正しき豪(高)家なり。
 + 本国は上野国緑埜郡山名の庄なり。(現・群馬県高崎市山名町)
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 +一、人皇五十六代の帝を清和天皇と申す。御諱は惟仁と言う。五十五代の帝・文徳天皇の第四の皇子なり。
 + 御母は皇太后・藤原明子と言う。太政大臣藤原良房公の娘なり。染殿后と称す。
 + 天安二年(858)戊寅十一月七日に即位あり時に九歳なり。
 + 貞観十八年(876)丙申十一月廿九日に位を皇太子・貞明に譲り給う。
 + 元慶三年(879)己亥五月、八日に剃髪し仏門に入る。法名は素貞と言う。戒師は宗縁僧正なり。
 + 同四年庚子十二月四日、円覚寺(藤原基経(藤原良房の養子)の栗田山荘)において崩御あり。
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