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伊勢山名氏について のバックアップの現在との差分(No.1) :: 山名氏史料館『山名蔵』のページ

xpwiki:山名会/刊行物等/山名第5号/P56_伊勢山名氏について のバックアップの現在との差分(No.1)

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1: 2013-10-22 (火) 21:23:56 admin[5] ソース[6] 現: 2022-12-11 (日) 16:12:40 admin[5] ソース[7]
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*伊勢山名氏について [#g5eb90cb] *伊勢山名氏について [#g5eb90cb]
RIGHT:山名大介 RIGHT:山名大介
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伊勢山名氏は、初代義遠(一説では、その父義隆)が慶長年間に、近江国花曽呂村より、伊勢国洞(あな)津(のつ)(転じて安濃津、現・三重県津市)に移住し「修天爵書堂」という名の寺子屋(日本庶民教育史によれば三重県では最古、日本でも記録に残るかぎりで10番目に古い寺子屋)を開いたことに始まる。 伊勢山名氏は、初代義遠(一説では、その父義隆)が慶長年間に、近江国花曽呂村より、伊勢国洞(あな)津(のつ)(転じて安濃津、現・三重県津市)に移住し「修天爵書堂」という名の寺子屋(日本庶民教育史によれば三重県では最古、日本でも記録に残るかぎりで10番目に古い寺子屋)を開いたことに始まる。
修天爵書堂はその後、代々の当主に引き継がれ、250年程後の幕末、安政年間に津藩(藤堂氏)が庶民の為に「修文館」を設置して、その幕を閉じた。 修天爵書堂はその後、代々の当主に引き継がれ、250年程後の幕末、安政年間に津藩(藤堂氏)が庶民の為に「修文館」を設置して、その幕を閉じた。
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