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山名家譜 巻之一 のバックアップソース(No.11) :: 山名氏史料館『山名蔵』のページ

xpwiki:山名会/刊行物等/山名家譜/巻之一 のバックアップソース(No.11)

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TITLE:山名家譜 巻之一
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|&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/516.jpg,mh:240,山名家譜 巻之八);|
|=P1~P24|
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*P1 [#pb9ee8ee]
|&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/517.jpg,mw:640,山名家譜 P001);|
  山名家傳記巻之一
   山名家先祖譜傳

一、抑山名家は清和源姓にして新田一流の
  豪家なり本国上野国緑埜郡山名の
  庄なり

一、人皇五十六代の帝を清和天皇と申す
  御諱(いみな)は惟仁と言う五十五代の帝文徳天皇
  (御諱道康)第四の皇子なり御母は皇太后
  藤明子と言う太政大臣藤原の良房公
  の女なり染殿后と称す天安二年戊
  寅十一月七日に即位あり時に九歳なり
  貞観十八丙申年十一月廿九日に位を皇太
  子貞明に譲り給う元慶三年己亥五月
  八日に落飾あり法諱(ほうき)素貞と言う戒師は
  宗縁僧正なり同四年庚子十二月四日円覚

*P2 [#gd923109]
|&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/518.jpg,mw:640,山名家譜 P002);|
  寺において崩御あり粟田山白河陵
  に葬り御骨を水尾山の陵に斂(おさ)めて
  水尾天皇と謚す後に改めて清和天皇
  と謚(おくりな)す天下を治め給う事十八年なり
  此帝皇子皇女凡(すぺ)て十八人あり

一、貞純親王 四品 中務卿
  親王貞純は清和天皇第六の皇子にして
  御母は神祇伯中務太輔棟貞王の女なり貞
  観十六年甲午三月十三日に降誕あり元慶
  六年壬寅十一月五日に元服あり四品に叙し
  兵部卿に任ず一条大宮の桃園宮に
  住し給うによりて桃園親王と称す
  後に中務卿に任じ常陸上総等の太守
  となり給う右大臣源能有公の女を娶
  り室家とし給う能有公は文徳天皇の

*P3 [#g02022a2]
|&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/519.jpg,mw:640,山名家譜 P003);|
 御子にて弓馬の芸に達せらる親王
 其業を受継て射騎の礼式に達し
 給う是によりて勅ありて月華門院の
 白幡を給る延喜十六年丙子五月七日に薨
 去あり
    貞純親王に二子あり長男は経基王
    なり次は経生と言う越後守に任ず

一、経基王 正四位上 左衛門権佐
 経基王は貞純親王の長男にして寛平
 七年乙卯二月十五日に桃園宮において誕生
 あり母は右大臣源能有公の女なり貞
 純親王清和帝第六の皇子たるを以て
 世の人経基王を称して六孫王という
 延喜九年己巳十月五日に常寧殿に

*P4 [#ma5e3137]
|&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/520.jpg,mw:640,山名家譜 P004);|
 おいて元服あり正六位上に叙し左馬
 助に任じ始めて源朝臣姓を賜わる天慶
 三年庚子の春に平将門追討として
 右衛門督藤原の忠文を征東将軍とし
 経基王を副将軍として節刀を賜る
 よりて関東に下向あり駿河国清見ヶ
 関に至るの日に関東において武蔵守
 藤原秀郷陸奥守平貞盛等将門を
 誅罰するのよしを告来るにより
 て帰洛あり是より先に経基王武蔵
 の国司たる時に国府に在留の時に
 将門が叛逆の相ある事を察して彼
 を誅伐せん事を奏聞有といえどもいま
 だ事のあらわれざるを以て勅許な
 し承平年中より将門逆意を関
 東に振うによりて経基王の才智を

*P5 [#p1fe8491]
|&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/521.jpg,mw:640,山名家譜 P005);|
 賞美あり従四位下に叙せらる同年
 六月に伊予大掾藤原純友を誅伐の
 為に参議小野好古を大将軍とし経基
 王を副将軍として筑紫に差下さる
 不日に純友を誅伐ありて同八月に帰
 京あり軍功の賞として正四位下に叙し
 大宰大弐に任ぜらる経基王は和歌を
 能し天性武略に達し父の業を継て
 弓馬の道に長ぜらる是によりて
 村上天皇(御諱成明)の勅蒙り陸奥守に
 任じ鎮守府将軍に補せらる天徳二
 年戊午十一月廿四日に西八条の館において
 逝去あり即ち館の辺に池あり此
 所に廟所を建て大通寺遍照心院号
 す
  経基王に八男一女あり長男は左馬頭

*P6 [#lca38fb7]
|&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/522.jpg,mw:640,山名家譜 P006);|
  満仲なり次は左衛門尉満政次は
  武蔵守満季次は右衛門尉満快
  次は下野掾満実次は出羽介満正次は
  上総介満生次は山城守満重という
  ともに子孫繁栄なり女子は従五
  位下源元高の妻なり

一、満仲 正四位下 左馬権頭
 満仲は鎮守府将軍経基王の嫡子に
 して延喜十二年壬申四月十日に西八条の
 館において誕生あり母は武蔵守藤原
 敦有の女なり延長四年丙戌に元服
 あり正六位に叙し左馬助に任ず安和三
 年庚午三月に摂津守に任ぜられ内
 昇殿を聴(ユル)さる満仲父祖の業を継て
 弓馬に達し武略に長ずるを以て大内(オオウチ)

*P7 [#ic2d411b]
|&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/523.jpg,mw:640,山名家譜 P007);|
 の守護たるべきの勅命を蒙り摂州河
 辺の郡多田庄を賜る天禄元年庚午
 三月十五日に多田圧に来り住せらる同
 二年辛未に多田庄に一寺を建て鷹
 尾山法華三昧院と名く(今の多田院是なり)寛和二
 年丙戍八月十五日に落飾ありて法名を
 満慶と号す長徳三年丁酉八月廿七日に
 逝去あり三昧院に葬むる

  満仲に十男一女あり長男は摂津守
  頼光と云う美濃源氏の大祖なり
  次は大和守頼親という大和源氏の
  大祖なり次は河内守頼信嫡流相
  続なり次は武蔵守頼平次は左衛門尉
  頼範次は山城守頼明次は帯刀長頼
  貞次は法眼円覚次は阿闍梨頼尋と
  いう女子は中将藤原の頼親妻なり

*P8 [#b30e0089]
|&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/524.jpg,mw:640,山名家譜 P008);|
一、頼信 正四位上 河内守
 頼信は鎮守府将軍満仲の三男にし
 て天延二年甲戍九月五日誕生あり母は
 大納言藤原の元方の女なり永延二年
 戊子九月十八日に元服あり正六位に叙し
 左馬助に任ず正暦五年甲午三月に勅
 命を蒙り若狭越前の両国に赴き
 群盗を誅伐す寛仁四年庚申九月十日に
 河内国壷井に館を構えて居住す長元
 三年庚午九月に上総介平忠常追討
 の宣旨を賜り同十月廿一日に軍勢を引
 卒(率)して武蔵国河越に至りて忠常が弟
 陸奥守忠頼中村五郎忠将と攻戦う
 忠頼兄弟ともに利なくして引退く
 同四年辛未四月頼信大軍を卒(率)て下総

*P9 [#b5fe5a52]
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 国に至り上総介が籠る所の千葉
 城をせむ忠常終に利なくして降参
 せり頼信則忠常を供ない帰洛あり
 しに美濃国において忠常病死せ
 り頼信忠常を労わり恤(あわれ)むによりて
 彼が一族門葉の者ども其仁心に感伏
 して永く源家の家僕となる頼信
 此度の軍功によりて従四位上に叙せら
 る此余頼信一世の勇功甚だ多し永
 承三年戊子九月朔日に卒去あり法名
 蓮心と号す河内国通法寺に葬る

  頼信に五男一女あり長男は伊豫守
  頼義嫡流相続なり次は肥後守頼清
  次は掃部助頼季次は河内冠者頼任
  次は常磐五郎義政というともに信濃
  国に居住して子孫繁栄す是を

*P10 [#o43fdbb9]
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  信濃源氏という女子は甲斐守源為
  満の妻なり

一、頼義 従四位上 伊豫守
 頼義は鎮守府将軍頼信の嫡男にして
 母は一条院の官女修理命婦なり長保
 五年癸卯四月九日に誕生あり長和二年
 癸丑に元服あり正六位に叙し兵庫允
 に任ず永承六年辛卯に陸奥国の押
 領使安部頼良を追討の為に陸奥守
 に任じ鎮守府将軍に補して節刀
 を賜り東国に下向あり同六月廿五日
 に相模国に至り鎌倉郡由比郷に石清
 水の八幡宮を勧請あり幡(はた)を亀谷の
 山上に納めらる後世に至りて此山
 をよびて源氏山とも又は御幡山とも

*P11 [#ebe9a703]
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*P12 [#c5416176]
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*P13 [#r523cdc7]
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*P14 [#w995f3af]
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*P15 [#qf1d7a85]
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*P16 [#g6389d54]
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*P24 [#k793f987]
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