ページへ戻る

− Links

 印刷 

山名家譜 巻之八 のバックアップソース(No.4) :: 山名氏史料館『山名蔵』のページ

xpwiki:山名会/刊行物等/山名家譜/巻之八 のバックアップソース(No.4)

« Prev[4]  Next »[5]
TITLE:豊国 山名豊国
#navi()
*山名豊国について [#md3790ae]
**P155 [#qb053878]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/330.jpg,mw:480);|

一 豊國 中務大輔 従五位下 
  豊國は弾正大弼豊定の男にして天文  十七年(1548)戌申年に誕生あり母は管領  細川武蔵守高國の女なり

一 豊國岩井の城に居住の時に毛利右  馬頭輝元因幡の国を攻とらんと謀  りて軍兵を卒(率)い夜に乗じて潜
  かに要害を凌て城の後ろに廻り時  の声を揚て攻入り松明を城中に   投入て競い攻る事甚だ急なり
  ければ豊國は胃を被らず甲を    着せずして長刀を提げ進んで    敵にむかい勇を振い戦うて敵六
  人を目前に斬伏られければ残る

**P156 [#s9d2b826]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/331.jpg,mw:480);|
  寄手の兵ども此勢いに恐れて  城中に入る事ならず其間に家  人等来り集りて敵を追払う毛
  利が兵ども皆敗北して引かえすを  追討にして首数十を討取る隣国  にも其勇猛なる事を感ず
*武田隆信の謀反 [#ga06f92d]
一 天正(1573~)の始め舎兄源十郎豊数逆臣  武田豊前守隆信が為に鳥取の  城を出奔あり此時に豊國は因州
  八東郡に在城あり此事を聞て  甚だ憤り武田が不義を憎て家臣  田結庄垣屋太田垣等に命じて武
  田豊前守?に上野豊廣を討しめ  らる両人罪を悔て許されん事  を乞といえども豊國これを許さず
  して八上郡大玄寺という禅寺に

**P157 [#t29844b1]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/332.jpg,mw:480);|
  おいて両人を斬て舎兄の仇を報  じて後に邑美郡の鳥取城に移り  国中の仕置ありて因幡の国主と
  なる

    或古記に曰く豊定邑美郡鳥  取に砦を拵え家老衆を置れ  候所に何れも辞退申され望む
    人これなしその内に武田豊前  守と申す人は但馬に舅是あり  候所縁を便りとし請を申され
    鳥取に在城致され候処に君臣  不和の事出来布施屋形へ敵  をなし其後は数年布施と
    鳥取と合戦是あり終には  布施をくづし永禄六(1563)癸亥の年  に布施落城いたし候其後

**P158 [#b3db9120]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/333.jpg,mw:480);|
   武田臣下として国を奪取り  候儀もなりがたきゆえ但馬山名  殿御一族の内壱人申受け候えば
   折節然るべき貴族も御入  これなきゆえ壱人叡山に児  になり御座候を武田方へ御越
   し候是を国主と仰ぎ鳥取に  在城候是則ち禅高公の御事  なりと申候
   按ずるに禅高を始め叡山の  児なりというは誤りなり弾正  大弼豊定の舎弟に東陽蔵
   主というあり宗鑑寺の住職に  て後に還俗して因幡国岩  井を知行す此人の事を古
   の記に誤り伝うる成べし

**P159 [#e9eb7adf]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/334.jpg,mw:480);|
   其後禅高公又武田と中悪し  く御なり禅高公を武田追  出し候ゆえ丹後へ浪人なさるゝ
   所に出雲浪人山中鹿之助禅  高公を進め因幡国に忍び来  り鳥取城を夜討にいたし申候
   此時武田を討留め武田はたえ申  よしに候夫より禅高公は鳥  取城に御座候えども其節は国中殊
   更乱国となり屋形とは申候えども  国主に用い申ものこれなく  国侍たがいに取合是あり禅
   高公も色々御働これある  よし申候   按ずるに鳥取城は始め豊國
   の舎兄源十郎豊数の居城

**P160 [#f522a8ba]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/335.jpg,mw:480);|
   なり同国岩井城は武田豊前  守にあづけ置る処に武田逆臣  を企て天正の始め源十郎豊数
   は因州を立退き但馬におもむ  き翌年卒去あり豊國此事  を憤り山中鹿之助を相かたらい
   武田豊前を討ほろぼす此記  の説と少しく異なり或記に  曰く禅高公の儀当国さる在所の
   老農相語仕候はすなわち当  国布施屋形の御息に候武田  布施をくづし候てより方々
   御浪人当国八東郡に御在城  武田と御合戦これありと申  ものもこれあり候当国布施の
   城たえ申候儀も説々に申候弥次

**P161 [#kfc85299]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/336.jpg,mw:480);|
   郎殿と申御屋形の代にくづれ  申よし彼の弥次郎殿打死なさ  れ候墓所高草郡たちみと申
   所に御座侯武田豊前?に其弟  当国高草郡ひよとり尾と申  所の城主武田又三郎と申人両人し
   て討申候よし此時布施くづれ  申候とも又は弥次郎殿は屋形の  御子息にて其後屋形は禅高
   公を御養子になされ御病死な  どとも申又は毛利家より布施  を攻くづし申などとも申候て
   一円分明成儀存したるものなし  按ずるに布施屋形というは  左京太夫時氏の男中務少輔
   氏冬始て因州布施庄に居
**P162 [#rcceb189]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/337.jpg,mw:480);|
   住ありしより子孫此所を  領す是を布施の屋形という  其子孫に弥次郎という人なし
   豊國を布施屋形の子というは  誤りなり又弥次郎というは  弾正大弼豊定の兄なり弥次郎
   安豊という詳に系図に見えたり  或記に曰く禅高公当国御立  退きなされそのまゝ御領地
   なさるゝやあきらかならず  又曰く禅高公当国に御座な  さるゝ時に当国八東郡辺御取り
   なさるゝようには申候へども慥に  向方御取り向れの所に御在  城なされ候とたしかに存し
   たるもの御座なく候当国矢部

**P163 [#v406b4f9]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/338.jpg,mw:480);|
   の城に御座なさるゝと申ものも  御座候へど当国にて矢部の城今  ほど在所しかと存したるものこ
   れなく候
   按ずるに豊國の村岡に居住の  事は鳥取落城の後に暫く此  所に居住ありしなり
   或記に曰く武田豊前と申人の  儀も当国土民説に申候太閤記  などには禅高公御討なさるゝ
   ようにしるしこれあり候えども  当国の土民申候は武田合戦に  打まけられ候て但馬に舅あ
   るのゆえ其所へ逃られ候えば舅  の方にて討留め申などと申候  其弟又三郎は当国の国侍打

**P164 [#ka2bbca7]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/339.jpg,mw:480);|
**P165 [#h7a4a4c8]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/340.jpg,mw:480);|
P166
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/341.jpg,mw:480);|
**P167 [#r8b4d859]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/342.jpg,mw:480);|
**P168 [#vf75d269]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/343.jpg,mw:480);|
**P169 [#nf1357a0]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/344.jpg,mw:480);|
**P170 [#d0e4b594]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/345.jpg,mw:480);|
**P171 [#e17edf2b]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/346.jpg,mw:480);|
**P172 [#g029a155]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/347.jpg,mw:480);|
**P173 [#e34a43bc]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/348.jpg,mw:480);|
**P174 [#pf8f7b58]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/349.jpg,mw:480);|
**P175 [#l6a7e521]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/350.jpg,mw:480);|
**P176 [#e5bd332b]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/351.jpg,mw:480);|
**P177 [#q7b24f3d]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/352.jpg,mw:480);|
**P178 [#pfe95c59]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/353.jpg,mw:480);|
**P179 [#oecc084e]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/354.jpg,mw:480);|
**P180 [#j0f8b77b]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/355.jpg,mw:480);|
**P181 [#x4238f61]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/356.jpg,mw:480);|
**P182 [#kd26432c]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/357.jpg,mw:480);|
**P183 [#g3afeaff]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/358.jpg,mw:480);|
**P184 [#radc1004]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/359.jpg,mw:480);|
**P185 [#f6b1d176]
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/360.jpg,mw:480);|

#navi()

« Prev[4]  Next »[5]