#navi() #contents() #clear * 竹田城見取図 [#ja54a9bd] |AROUND TRIGHT:|c |CENTER:竹田城見取図&br;&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/101.jpg,mw:240,竹田城見取図);| 竹田城別名を、山上に虎が伏せた様な状景から「虎臥城」とも。 山名持豊の命によって築城され、太田垣光景が初代城主、以降山名四天王の太田垣氏が歴代城主を務める。 生野銀山にも近いこの地は室町時代から山名・赤松が播但に分かれて、この地を境に幾度となく争ってきた。 戦国時代には豊臣秀吉の但馬征伐によって、但馬山名は終焉を迎え竹田城も羽柴秀長が城主となる。 その後、城主は桑山重晴、赤松広秀と代わり、現在の城郭を完成させたのは赤松広秀といわれる。 関ヶ原の合戦後、広秀は鳥取城攻めに加わるが、城下に火を放った咎により家康から切腹を命ぜられ、竹田城は廃城とる。 この竹田城の受け取りに出向いたのが山名豊國(禅高)と言われる。 山名氏にとっては、因縁浅からぬ竹田城といえる。 *年代 [#z46da5c9] 原図には「弘治2年(1556・城主:太田垣朝延の代)現図」を出石の中山東華が複製したものと記述がある。 この見取り図自体はは平成元年に複写刊行したもの。 *備考 [#x3d50bb9] 竹田城は近年、雲海に浮かぶ様から「天空の城」とも言われ、写真撮影に・登城に人気を博している。 中腹駐車場の脇に[[山名赤松供養塔>http://www.houun.jp/modules/xpwiki/?houun%2F%E5%A2%83%E5%86%85%E8%AB%B8%E5%A0%82%2F%E7%AB%B9%E7%94%B0%E5%9F%8E%E4%BE%9B%E9%A4%8A%E5%A1%94]]が有る。 *写真 [#lef7c9e2] |&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/102.jpg,mw:240);|&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/103.jpg,mw:240);| -[[他の画像>http://www.yamana1zoku.org/modules/myalbum/viewcat.php?num=10&cid=21]] *「竹田城見取図」 の復刻発行[#u57c9056] 山名氏の有縁者を中心とする歴史親睦団体、全國山名氏一族会(略称:山名会)では、来る11月13日に京都華頂大学「華頂ホール」を会場に実施する第23回山名会総会(及び、山名会歴史講演会)の記念資料として、『竹田虎臥城見取図』(以下:見取図)を28年ぶりに復刻刊行致します。(限定400部) |=復刻版「虎臥城見取図」(原画:中山東華)|h |&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/1161.jpg,mw:460,復刻版「虎臥城見取図」(原画:中山東華));| CENTER:詳しくは[[山名会/活動/H28山名会総会/虎臥城見取図]]をご覧下さい。 #navi()
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