2: 2012-12-21 (金) 21:49:52 admin ソース
Deleted an attach file: p155.gif at 2012-12-21 (金) 20:35:41
3: 2012-12-22 (土) 14:45:38 admin ソース
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    鳥取に在城致され候処に君臣  不和の事出来布施屋形へ敵  をなし其後は数年布施と     鳥取に在城致され候処に君臣  不和の事出来布施屋形へ敵  をなし其後は数年布施と
    鳥取と合戦是あり終には  布施をくづし永禄六(1563)癸亥の年  に布施落城いたし候其後     鳥取と合戦是あり終には  布施をくづし永禄六(1563)癸亥の年  に布施落城いたし候其後
 +*P158 [#b3db9120]
 +|=&ref(p158.jpg,mw:640);|
 +   武田臣下として国を奪取り  候儀もなりがたきゆえ但馬山名  殿御一族の内壱人申受け候えば
 +   折節然るべき貴族も御入  これなきゆえ壱人叡山に児  になり御座候を武田方へ御越
 +   し候是を国主と仰ぎ鳥取に  在城候是則ち禅高公の御事  なりと申候
 +   按ずるに禅高を始め叡山の  児なりというは誤りなり弾正  大弼豊定の舎弟に東陽蔵
 +   主というあり宗鑑寺の住職に  て後に還俗して因幡国岩  井を知行す此人の事を古
 +   の記に誤り伝うる成べし
 +*P159 [#e9eb7adf]
 +|=&ref(p159.jpg,mw:640);|
 +   其後禅高公又武田と中悪し  く御なり禅高公を武田追  出し候ゆえ丹後へ浪人なさるゝ
 +   所に出雲浪人山中鹿之助禅  高公を進め因幡国に忍び来  り鳥取城を夜討にいたし申候
 +   此時武田を討留め武田はたえ申  よしに候夫より禅高公は鳥  取城に御座候えども其節は国中殊
 +   更乱国となり屋形とは申候えども  国主に用い申ものこれなく  国侍たがいに取合是あり禅
 +   高公も色々御働これある  よし申候   按ずるに鳥取城は始め豊國
 +   の舎兄源十郎豊数の居城
 +
 +*P160 [#f522a8ba]
 +|=&ref(p160.jpg,mw:640);|
 +   なり同国岩井城は武田豊前  守にあづけ置る処に武田逆臣  を企て天正の始め源十郎豊数
 +   は因州を立退き但馬におもむ  き翌年卒去あり豊國此事  を憤り山中鹿之助を相かたらい
 +   武田豊前を討ほろぼす此記  の説と少しく異なり或記に  曰く禅高公の儀当国さる在所の
 +   老農相語仕候はすなわち当  国布施屋形の御息に候武田  布施をくづし候てより方々
 +   御浪人当国八東郡に御在城  武田と御合戦これありと申  ものもこれあり候当国布施の
 +   城たえ申候儀も説々に申候弥次
 +
 +*P161 [#kfc85299]
 +|=&ref(p161.jpg,mw:640);|
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