1: 2011-10-30 (日) 20:56:24 admin ソース
Line 1: Line 1:
 +#navi()
 +*山名の定紋は、 [#fe6b2bd0]
 +正紋が「五七桐七葉根笹」、替紋が「糸輪二ツ引両」、どちらも他氏には類を見ない紋である。
 +桐紋は、古来尊貴の御紋として知られるが、足利氏が幕府を開いた功により拝領し、以後、重臣に与えたものであろう。その下に七葉根笹を二つ並べたことについては二説がある。
 +*五七桐七葉根笹 [#f586aca7]
 ++その一は、明徳の乱の折、一族同志のこととて、敵味方の区別がつきにくいため、五条橋下に流れていた笹に葉を旗に結びついて、足跡の目じるしにしたのがおこりだという。
 ++今一つは、室町幕府における大功により、将軍義満公より、源家の重宝笹造り太刀を拝領したことを記念して、定紋としたともいう。
 +因みにこの笹造りの太刀は、羽柴秀吉が山名豊国公に所望したが断られたことがある。
 +常に豊国公の座右に備えられていたが、ある時駿河蒲原の駅で止宿中、出火にあい、家重来秘宝とともに烏有に帰したそうである。
 +*なお、糸輪二ツ引両については、 [#yd3410ba]
 +かつて、三ツ引両を用いていたところ、三浦氏の紋とまぎらわしく、かつ、三つ引山名はサンザンと通じて吉悪しと、義満公(家譜では家康公となっている)の仰せにより、このように改めたとされる。
 +いずれにしても、世間一般の丸に二引両(どの線も同じ太さで描かれている)とは、一味違ったデザインであることにご注意願いたい。
 +#navi()


トップ   差分 バックアップ リロード印刷に適した表示   全ページ一覧 単語検索 最新ページの一覧   ヘルプ   最新ページのRSS 1.0 最新ページのRSS 2.0 最新ページのRSS Atom Powered by xpWiki
Counter: 4951, today: 1, yesterday: 1