20: 2015-01-18 (日) 14:48:57 admin ソース 21: 2015-02-26 (木) 20:27:33 admin ソース
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-    山名家傳記巻之一 +山名家傳記巻之一 
-      山名家先祖譜傳+  山名家先祖譜傳 
 +一、抑山名家は清和源姓にして新田一流の豪家なり本国上野国緑埜郡山名の庄なり
-一、抑山名家は清和源姓にして新田一流の +一、人皇五十六代の帝を''清和天皇''と申す御諱(いみな)は惟仁と言う五十五代の帝文徳天皇 
-  豪家なり本国上野国緑埜郡山名の +(御諱道康)第四の皇子なり御母は皇太后藤明子と言う太政大臣藤原の良房公の女なり染殿后と称す天安二年戊寅十一月七日に即位あり時に九歳なり貞観十八丙申年十一月廿九日に位を皇太子貞明に譲り給う元慶三年己亥五月八日に落飾あり法諱(ほうき)素貞と言う戒師は宗縁僧正なり同四年庚子十二月四日円覚
-  庄なり +
- +
-一、人皇五十六代の帝を''清和天皇''と申す +
-  御諱(いみな)は惟仁と言う五十五代の帝文徳天皇 +
-  (御諱道康)第四の皇子なり御母は皇太后 +
-  藤明子と言う太政大臣藤原の良房公 +
-  の女なり染殿后と称す天安二年戊 +
-  寅十一月七日に即位あり時に九歳なり +
-  貞観十八丙申年十一月廿九日に位を皇太 +
-  子貞明に譲り給う元慶三年己亥五月 +
-  八日に落飾あり法諱(ほうき)素貞と言う戒師は +
-  宗縁僧正なり同四年庚子十二月四日円覚 +
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-一、抑も山名家は清和源姓にして新田氏の流を汲む由緒正しき豪家なり。 +
- 本国は上野国緑埜郡山名の庄なり。(現・群馬県高崎市山名町) +
- +
-一、人皇五十六代の帝を清和天皇と申す。御諱は惟仁と言う。五十五代の帝・文徳天皇の第四の皇子なり。 +
- 御母は皇太后・藤原明子と言う。太政大臣藤原良房公の娘なり。染殿后と称す。 +
- 天安二年(858)戊寅十一月七日に即位あり時に九歳なり。 +
- 貞観十八年(876)丙申十一月廿九日に位を皇太子・貞明に譲り給う。 +
- 元慶三年(879)己亥五月、八日に剃髪し仏門に入る。法名は素貞と言う。戒師は宗縁僧正なり。 +
- 同四年庚子十二月四日、円覚寺(藤原基経(藤原良房の養子)の栗田山荘)において崩御あり。+
*P2 [#p0000002] *P2 [#p0000002]
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-  寺において崩御あり粟田山白河陵 +寺において崩御あり粟田山白河陵に葬り御骨を水尾山の陵に斂(おさ)めて水尾天皇と謚す後に改めて清和天皇  と謚(おくりな)す天下を治め給う事十八年なり此帝皇子皇女凡(すぺ)て十八人あり
-  に葬り御骨を水尾山の陵に斂(おさ)めて +
-  水尾天皇と謚す後に改めて清和天皇 +
-  と謚(おくりな)す天下を治め給う事十八年なり +
-  此帝皇子皇女凡(すぺ)て十八人あり+
一、''貞純親王'' 四品 中務卿 一、''貞純親王'' 四品 中務卿
-  親王貞純は清和天皇第六の皇子にして +親王貞純は清和天皇第六の皇子にして御母は神祇伯中務太輔棟貞王の女なり貞観十六年甲午三月十三日に降誕あり元慶六年壬寅十一月五日に元服あり四品に叙し兵部卿に任ず一条大宮の桃園宮に住し給うによりて桃園親王と称す後に中務卿に任じ常陸上総等の太守となり給う右大臣源能有公の女を娶り室家とし給う能有公は文徳天皇の
-  御母は神祇伯中務太輔棟貞王の女なり貞 +
-  観十六年甲午三月十三日に降誕あり元慶 +
-  六年壬寅十一月五日に元服あり四品に叙し +
-  兵部卿に任ず一条大宮の桃園宮に +
-  住し給うによりて桃園親王と称す +
-  後に中務卿に任じ常陸上総等の太守 +
-  となり給う右大臣源能有公の女を娶 +
-  り室家とし給う能有公は文徳天皇の +
----- +
- 粟田山白河陵てに荼毘に付し、御骨を水尾山の陵に斂(おさ)める。 +
- 水尾天皇と謚し、後に改めて清和天皇と謚す。 +
- 天下を治め給う事十八年なり。 +
- 此帝皇子皇女凡(すぺ)て十八人あり。 +
- +
-一、貞純親王 四品 中務卿 +
- 親王貞純は清和天皇第六の皇子にして、御母は神祇伯中務太輔棟貞王の女なり。 +
- 貞観十六年(874)甲午三月十三日に降誕あり。 +
- 元慶六年壬寅(882)十一月五日に元服あり四品に叙し、兵部卿に任ず。 +
- 一条大宮の桃園宮に住し給うによりて桃園親王と称す。 +
- 後に中務卿に任じ常陸、上総等の太守となり給う。 +
- 右大臣源能有公の女を娶り、室家とし給う。 +
- 能有公は文徳天皇の+
*P3 [#p0000003] *P3 [#p0000003]
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- 御子にて弓馬の芸に達せらる親王 +御子にて弓馬の芸に達せらる親王其業を受継て射騎の礼式に達し給う是によりて勅ありて月華門院の白幡を給る延喜十六年丙子五月七日に薨去あり 
- 其業を受継て射騎の礼式に達し + 
- 給う是によりて勅ありて月華門院の +貞純親王に二子あり長男は経基王なり次は経生と言う越後守に任ず
- 白幡を給る延喜十六年丙子五月七日に薨 +
- 去あり +
-    貞純親王に二子あり長男は経基王 +
-    なり次は経生と言う越後守に任ず+
一、''経基王'' 正四位上 左衛門権佐 一、''経基王'' 正四位上 左衛門権佐
- 経基王は貞純親王の長男にして寛平 +経基王は貞純親王の長男にして寛平七年乙卯二月十五日に桃園宮において誕生あり母は右大臣源能有公の女なり貞純親王清和帝第六の皇子たるを以て世の人経基王を称して六孫王という延喜九年己巳十月五日に常寧殿に
- 七年乙卯二月十五日に桃園宮において誕生 +
- あり母は右大臣源能有公の女なり貞 +
- 純親王清和帝第六の皇子たるを以て +
- 世の人経基王を称して六孫王という +
- 延喜九年己巳十月五日に常寧殿に+
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- おいて元服あり正六位上に叙し左馬 +おいて元服あり正六位上に叙し左馬助に任じ始めて源朝臣姓を賜わる天慶三年庚子の春に平将門追討として右衛門督藤原の忠文を征東将軍とし経基王を副将軍として節刀を賜るよりて関東に下向あり駿河国清見ヶ関に至るの日に関東において武蔵守藤原秀郷陸奥守平貞盛等将門を誅罰するのよしを告来るによりて帰洛あり是より先に経基王武蔵の国司たる時に国府に在留の時に将門が叛逆の相ある事を察して彼を誅伐せん事を奏聞有といえどもいまだ事のあらわれざるを以て勅許なし承平年中より将門逆意を関東に振うによりて経基王の才智を
- 助に任じ始めて源朝臣姓を賜わる天慶 +
- 三年庚子の春に平将門追討として +
- 右衛門督藤原の忠文を征東将軍とし +
- 経基王を副将軍として節刀を賜る +
- よりて関東に下向あり駿河国清見ヶ +
- 関に至るの日に関東において武蔵守 +
- 藤原秀郷陸奥守平貞盛等将門を +
- 誅罰するのよしを告来るにより +
- て帰洛あり是より先に経基王武蔵 +
- の国司たる時に国府に在留の時に +
- 将門が叛逆の相ある事を察して彼 +
- を誅伐せん事を奏聞有といえどもいま +
- だ事のあらわれざるを以て勅許な +
- し承平年中より将門逆意を関 +
- 東に振うによりて経基王の才智を+
*P5 [#p0000005] *P5 [#p0000005]
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- 賞美あり従四位下に叙せらる同年 +賞美あり従四位下に叙せらる同年六月に伊予大掾藤原純友を誅伐の為に参議小野好古を大将軍とし経基王を副将軍として筑紫に差下さる不日に純友を誅伐ありて同八月に帰京あり軍功の賞として正四位下に叙し大宰大弐に任ぜらる経基王は和歌を能し天性武略に達し父の業を継て弓馬の道に長ぜらる是によりて村上天皇(御諱成明)の勅蒙り陸奥守に任じ鎮守府将軍に補せらる天徳二年戊午十一月廿四日に西八条の館において逝去あり即ち館の辺に池あり此所に廟所を建て大通寺遍照心院号す 
- 六月に伊予大掾藤原純友を誅伐の + 
- 為に参議小野好古を大将軍とし経基 +経基王に八男一女あり長男は左馬頭
- 王を副将軍として筑紫に差下さる +
- 不日に純友を誅伐ありて同八月に帰 +
- 京あり軍功の賞として正四位下に叙し +
- 大宰大弐に任ぜらる経基王は和歌を +
- 能し天性武略に達し父の業を継て +
- 弓馬の道に長ぜらる是によりて +
- 村上天皇(御諱成明)の勅蒙り陸奥守に +
- 任じ鎮守府将軍に補せらる天徳二 +
- 年戊午十一月廿四日に西八条の館において +
- 逝去あり即ち館の辺に池あり此 +
- 所に廟所を建て大通寺遍照心院号 +
- す +
-  経基王に八男一女あり長男は左馬頭+
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-  満仲なり次は左衛門尉満政次は +満仲なり次は左衛門尉満政次は武蔵守満季次は右衛門尉満快次は下野掾満実次は出羽介満正次は上総介満生次は山城守満重というともに子孫繁栄なり女子は従五位下源元高の妻なり
-  武蔵守満季次は右衛門尉満快 +
-  次は下野掾満実次は出羽介満正次は +
-  上総介満生次は山城守満重という +
-  ともに子孫繁栄なり女子は従五 +
-  位下源元高の妻なり+
一、''満仲'' 正四位下 左馬権頭 一、''満仲'' 正四位下 左馬権頭
- 満仲は鎮守府将軍経基王の嫡子に +満仲は鎮守府将軍経基王の嫡子にして延喜十二年壬申四月十日に西八条の館において誕生あり母は武蔵守藤原敦有の女なり延長四年丙戌に元服あり正六位に叙し左馬助に任ず安和三年庚午三月に摂津守に任ぜられ内昇殿を聴(ユル)さる満仲父祖の業を継て弓馬に達し武略に長ずるを以て大内(オオウチ)
- して延喜十二年壬申四月十日に西八条の +
- 館において誕生あり母は武蔵守藤原 +
- 敦有の女なり延長四年丙戌に元服 +
- あり正六位に叙し左馬助に任ず安和三 +
- 年庚午三月に摂津守に任ぜられ内 +
- 昇殿を聴(ユル)さる満仲父祖の業を継て +
- 弓馬に達し武略に長ずるを以て大内(オオウチ)+
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- の守護たるべきの勅命を蒙り摂州河 +の守護たるべきの勅命を蒙り摂州河辺の郡多田庄を賜る天禄元年庚午三月十五日に多田圧に来り住せらる同二年辛未に多田庄に一寺を建て鷹尾山法華三昧院と名く(今の多田院是なり)寛和二年丙戍八月十五日に落飾ありて法名を満慶と号す長徳三年丁酉八月廿七日に逝去あり三昧院に葬むる
- 辺の郡多田庄を賜る天禄元年庚午 +
- 三月十五日に多田圧に来り住せらる同 +
- 二年辛未に多田庄に一寺を建て鷹 +
- 尾山法華三昧院と名く(今の多田院是なり)寛和二 +
- 年丙戍八月十五日に落飾ありて法名を +
- 満慶と号す長徳三年丁酉八月廿七日に +
- 逝去あり三昧院に葬むる+
-  満仲に十男一女あり長男は摂津守 +満仲に十男一女あり長男は摂津守頼光と云う美濃源氏の大祖なり次は大和守頼親という大和源氏の大祖なり次は河内守頼信嫡流相続なり次は武蔵守頼平次は左衛門尉頼範次は山城守頼明次は帯刀長頼貞次は法眼円覚次は阿闍梨頼尋という女子は中将藤原の頼親妻なり
-  頼光と云う美濃源氏の大祖なり +
-  次は大和守頼親という大和源氏の +
-  大祖なり次は河内守頼信嫡流相 +
-  続なり次は武蔵守頼平次は左衛門尉 +
-  頼範次は山城守頼明次は帯刀長頼 +
-  貞次は法眼円覚次は阿闍梨頼尋と +
-  いう女子は中将藤原の頼親妻なり+
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