6: 2012-12-23 (日) 14:49:49 admin ソース 7: 2012-12-26 (水) 16:40:36 admin ソース
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*山名豊国について [#md3790ae] *山名豊国について [#md3790ae]
**P155 [#qb053878] **P155 [#qb053878]
-|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/362.jpg,mw:480);|+|TLEFT:||c 
 +|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/363.jpg,mw:320,P156);|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/362.jpg,mw:320,P155);|
一 豊國 中務大輔 従五位下  一 豊國 中務大輔 従五位下 
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  人を目前に斬伏られければ残る   人を目前に斬伏られければ残る
-**P156 [#s9d2b826] 
-|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/363.jpg,mw:480);| 
  寄手の兵ども此勢いに恐れて  城中に入る事ならず其間に家  人等来り集りて敵を追払う毛   寄手の兵ども此勢いに恐れて  城中に入る事ならず其間に家  人等来り集りて敵を追払う毛
  利が兵ども皆敗北して引かえすを  追討にして首数十を討取る隣国  にも其勇猛なる事を感ず   利が兵ども皆敗北して引かえすを  追討にして首数十を討取る隣国  にも其勇猛なる事を感ず
 +
*武田隆信の謀反 [#ga06f92d] *武田隆信の謀反 [#ga06f92d]
一 天正(1573~)の始め舎兄源十郎豊数逆臣  武田豊前守隆信が為に鳥取の  城を出奔あり此時に豊國は因州 一 天正(1573~)の始め舎兄源十郎豊数逆臣  武田豊前守隆信が為に鳥取の  城を出奔あり此時に豊國は因州
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**P157 [#t29844b1] **P157 [#t29844b1]
-|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/364.jpg,mw:480);|+|TLEFT:||c 
 +|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/365.jpg,mw:320,P158);|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/364.jpg,mw:320,P157);|
  おいて両人を斬て舎兄の仇を報  じて後に邑美郡の鳥取城に移り  国中の仕置ありて因幡の国主と   おいて両人を斬て舎兄の仇を報  じて後に邑美郡の鳥取城に移り  国中の仕置ありて因幡の国主と
  なる   なる
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    鳥取と合戦是あり終には  布施をくづし永禄六(1563)癸亥の年  に布施落城いたし候其後     鳥取と合戦是あり終には  布施をくづし永禄六(1563)癸亥の年  に布施落城いたし候其後
-**P158 [#b3db9120] +    武田臣下として国を奪取り  候儀もなりがたきゆえ但馬山名  殿御一族の内壱人申受け候えば 
-|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/365.jpg,mw:480);| +    折節然るべき貴族も御入  これなきゆえ壱人叡山に児  になり御座候を武田方へ御越 
-   武田臣下として国を奪取り  候儀もなりがたきゆえ但馬山名  殿御一族の内壱人申受け候えば +    し候是を国主と仰ぎ鳥取に  在城候是則ち禅高公の御事  なりと申候 
-   折節然るべき貴族も御入  これなきゆえ壱人叡山に児  になり御座候を武田方へ御越 +    按ずるに禅高を始め叡山の  児なりというは誤りなり弾正  大弼豊定の舎弟に東陽蔵 
-   し候是を国主と仰ぎ鳥取に  在城候是則ち禅高公の御事  なりと申候 +    主というあり宗鑑寺の住職に  て後に還俗して因幡国岩  井を知行す此人の事を古 
-   按ずるに禅高を始め叡山の  児なりというは誤りなり弾正  大弼豊定の舎弟に東陽蔵 +    の記に誤り伝うる成べし
-   主というあり宗鑑寺の住職に  て後に還俗して因幡国岩  井を知行す此人の事を古 +
-   の記に誤り伝うる成べし+
**P159 [#e9eb7adf] **P159 [#e9eb7adf]
-|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/366.jpg,mw:480);| +|TLEFT:||c 
-   其後禅高公又武田と中悪し  く御なり禅高公を武田追  出し候ゆえ丹後へ浪人なさるゝ +|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/367.jpg,mw:320,P160);|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/366.jpg,mw:320,P159);| 
-   所に出雲浪人山中鹿之助禅  高公を進め因幡国に忍び来  り鳥取城を夜討にいたし申候 +    其後禅高公又武田と中悪し  く御なり禅高公を武田追  出し候ゆえ丹後へ浪人なさるゝ 
-   此時武田を討留め武田はたえ申  よしに候夫より禅高公は鳥  取城に御座候えども其節は国中殊 +    所に出雲浪人山中鹿之助禅  高公を進め因幡国に忍び来  り鳥取城を夜討にいたし申候 
-   更乱国となり屋形とは申候えども  国主に用い申ものこれなく  国侍たがいに取合是あり禅 +    此時武田を討留め武田はたえ申  よしに候夫より禅高公は鳥  取城に御座候えども其節は国中殊 
-   高公も色々御働これある  よし申候   按ずるに鳥取城は始め豊國 +    更乱国となり屋形とは申候えども  国主に用い申ものこれなく  国侍たがいに取合是あり禅 
-   の舎兄源十郎豊数の居城+    高公も色々御働これある  よし申候   按ずるに鳥取城は始め豊國 
 +    の舎兄源十郎豊数の居城
-**P160 [#f522a8ba] +    なり同国岩井城は武田豊前  守にあづけ置る処に武田逆臣  を企て天正の始め源十郎豊数 
-|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/367.jpg,mw:480);| +    は因州を立退き但馬におもむ  き翌年卒去あり豊國此事  を憤り山中鹿之助を相かたらい 
-   なり同国岩井城は武田豊前  守にあづけ置る処に武田逆臣  を企て天正の始め源十郎豊数 +    武田豊前を討ほろぼす此記  の説と少しく異なり或記に  曰く禅高公の儀当国さる在所の 
-   は因州を立退き但馬におもむ  き翌年卒去あり豊國此事  を憤り山中鹿之助を相かたらい +    老農相語仕候はすなわち当  国布施屋形の御息に候武田  布施をくづし候てより方々 
-   武田豊前を討ほろぼす此記  の説と少しく異なり或記に  曰く禅高公の儀当国さる在所の +    御浪人当国八東郡に御在城  武田と御合戦これありと申  ものもこれあり候当国布施の 
-   老農相語仕候はすなわち当  国布施屋形の御息に候武田  布施をくづし候てより方々 +    城たえ申候儀も説々に申候弥次
-   御浪人当国八東郡に御在城  武田と御合戦これありと申  ものもこれあり候当国布施の +
-   城たえ申候儀も説々に申候弥次+
**P161 [#kfc85299] **P161 [#kfc85299]
-|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/368.jpg,mw:480);+|TLEFT:||c 
-   郎殿と申御屋形の代にくづれ  申よし彼の弥次郎殿打死なさ  れ候墓所高草郡たちみと申 +|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/369.jpg,mw:320,P162);|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/368.jpg,mw:320,P161);| 
-   所に御座侯武田豊前?に其弟  当国高草郡ひよとり尾と申  所の城主武田又三郎と申人両人し +    郎殿と申御屋形の代にくづれ  申よし彼の弥次郎殿打死なさ  れ候墓所高草郡たちみと申 
-   て討申候よし此時布施くづれ  申候とも又は弥次郎殿は屋形の  御子息にて其後屋形は禅高 +    所に御座侯武田豊前?に其弟  当国高草郡ひよとり尾と申  所の城主武田又三郎と申人両人し 
-   公を御養子になされ御病死な  どとも申又は毛利家より布施  を攻くづし申などとも申候て +    て討申候よし此時布施くづれ  申候とも又は弥次郎殿は屋形の  御子息にて其後屋形は禅高 
-   一円分明成儀存したるものなし  按ずるに布施屋形というは  左京太夫時氏の男中務少輔 +    公を御養子になされ御病死な  どとも申又は毛利家より布施  を攻くづし申などとも申候て 
-   氏冬始て因州布施庄に居 +    一円分明成儀存したるものなし  按ずるに布施屋形というは  左京太夫時氏の男中務少輔 
-**P162 [#rcceb189] +    氏冬始て因州布施庄に居 
-|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/369.jpg,mw:480);| + 
-   住ありしより子孫此所を  領す是を布施の屋形という  其子孫に弥次郎という人なし +    住ありしより子孫此所を  領す是を布施の屋形という  其子孫に弥次郎という人なし 
-   豊國を布施屋形の子というは  誤りなり又弥次郎というは  弾正大弼豊定の兄なり弥次郎 +    豊國を布施屋形の子というは  誤りなり又弥次郎というは  弾正大弼豊定の兄なり弥次郎 
-   安豊という詳に系図に見えたり  或記に曰く禅高公当国御立  退きなされそのまゝ御領地 +    安豊という詳に系図に見えたり  或記に曰く禅高公当国御立  退きなされそのまゝ御領地 
-   なさるゝやあきらかならず  又曰く禅高公当国に御座な  さるゝ時に当国八東郡辺御取り +    なさるゝやあきらかならず  又曰く禅高公当国に御座な  さるゝ時に当国八東郡辺御取り 
-   なさるゝようには申候へども慥に  向方御取り向れの所に御在  城なされ候とたしかに存し +    なさるゝようには申候へども慥に  向方御取り向れの所に御在  城なされ候とたしかに存し 
-   たるもの御座なく候当国矢部+    たるもの御座なく候当国矢部
**P163 [#v406b4f9] **P163 [#v406b4f9]
-|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/370.jpg,mw:480);| +|TLEFT:||c 
-   の城に御座なさるゝと申ものも  御座候へど当国にて矢部の城今  ほど在所しかと存したるものこ +|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/371.jpg,mw:320,P164);|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/370.jpg,mw:320,P163);| 
-   れなく候 +    の城に御座なさるゝと申ものも  御座候へど当国にて矢部の城今  ほど在所しかと存したるものこ 
-   按ずるに豊國の村岡に居住の  事は鳥取落城の後に暫く此  所に居住ありしなり +    れなく候 
-   或記に曰く武田豊前と申人の  儀も当国土民説に申候太閤記  などには禅高公御討なさるゝ +    按ずるに豊國の村岡に居住の  事は鳥取落城の後に暫く此  所に居住ありしなり 
-   ようにしるしこれあり候えども  当国の土民申候は武田合戦に  打まけられ候て但馬に舅あ +    或記に曰く武田豊前と申人の  儀も当国土民説に申候太閤記  などには禅高公御討なさるゝ 
-   るのゆえ其所へ逃られ候えば舅  の方にて討留め申などと申候  其弟又三郎は当国の国侍打+    ようにしるしこれあり候えども  当国の土民申候は武田合戦に  打まけられ候て但馬に舅あ 
 +    るのゆえ其所へ逃られ候えば舅  の方にて討留め申などと申候  其弟又三郎は当国の国侍打
-**P164 [#ka2bbca7] +    寄たばかり和談いたし当国  八上郡大玄寺と申禅寺にて  だまし討に仕候と申候墓所 
-|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/371.jpg,mw:480);| +    当国智頭郡に御座候 
-   寄たばかり和談いたし当国  八上郡大玄寺と申禅寺にて  だまし討に仕候と申候墓所 +    按ずるに此説は家説と異な  り武田豊前は豊國に亡され  たる事分明也 
-   当国智頭郡に御座候 +    又曰く右武田豊前の子孫流  浪候て後には禅高公をたのみ  御家中に有付今に御座候て 
-   按ずるに此説は家説と異な  り武田豊前は豊國に亡され  たる事分明也 +    武田太郎右衛門殿と申すはその  御末のように当地にて申もの  これあり候又当国にても八 
-   又曰く右武田豊前の子孫流  浪候て後には禅高公をたのみ  御家中に有付今に御座候て +    上郡ひけた村と申所に鳥越  の一党とてこれ有り候百姓は  彼の武田の子孫のよし申候
-   武田太郎右衛門殿と申すはその  御末のように当地にて申もの  これあり候又当国にても八 +
-   上郡ひけた村と申所に鳥越  の一党とてこれ有り候百姓は  彼の武田の子孫のよし申候+
**P165 [#h7a4a4c8] **P165 [#h7a4a4c8]
-|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/372.jpg,mw:480);| +|TLEFT:||c 
-   或記に曰く当国八東郡きさいち  と申所に覚王寺と申山伏寺御  座候本尊は観音にて御座候 +|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/371.jpg,mw:320,P166);|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/372.jpg,mw:320,P165);| 
-   禅高公此辺に御座なさるゝの  とき御立願成就の儀これある  につき御祈祷所になされ御帰 +    或記に曰く当国八東郡きさいち  と申所に覚王寺と申山伏寺御  座候本尊は観音にて御座候 
-   依のよしその寺のむかいの在  所市場と申所名城のよしに候  古跡にて候もし此城に御在城 +    禅高公此辺に御座なさるゝの  とき御立願成就の儀これある  につき御祈祷所になされ御帰 
-   などなされ候御伝も御座候や此  城むかしは毛利と申人代々  在城のよし此所にても大合戦 +    依のよしその寺のむかいの在  所市場と申所名城のよしに候  古跡にて候もし此城に御在城 
-   是あるよし右の覚王寺と申  寺とては大破いたし禅高公御  祈祷いたし候一山伏は子孫もたえ +    などなされ候御伝も御座候や此  城むかしは毛利と申人代々  在城のよし此所にても大合戦 
-   候て柴の庵に餘流の山伏籠+    是あるよし右の覚王寺と申  寺とては大破いたし禅高公御  祈祷いたし候一山伏は子孫もたえ 
 +    候て柴の庵に餘流の山伏籠 
 + 
 +    或説に曰く因州岩井郡に豊國  在住あり居城を岩つねの城  と名付らる今において其跡存 
 +    ぜりという   此迄
-**P166 [#y17b63cf] 
-|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/373.jpg,mw:480);| 
-   或説に曰く因州岩井郡に豊國  在住あり居城を岩つねの城  と名付らる今において其跡存 
-   ぜりという   此迄 
*毛利輝元 [#k1d15787] *毛利輝元 [#k1d15787]
一毛利右馬頭輝元は山陰道の内を切  随えて両道を全く手に入んと謀る  此時に豊國は勢い微なりたれば 一毛利右馬頭輝元は山陰道の内を切  随えて両道を全く手に入んと謀る  此時に豊國は勢い微なりたれば
Line 116: Line 113:
**P167 [#r8b4d859] **P167 [#r8b4d859]
-|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/374.jpg,mw:480);|+|TLEFT:||c 
 +|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/375.jpg,mw:320,P168);|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/374.jpg,mw:320,P167);|
 具して因幡に至り鳥取城を囲  み攻む此時に伯耆国羽衣石の城を  守る南条勘兵衛同国岩倉城を守  具して因幡に至り鳥取城を囲  み攻む此時に伯耆国羽衣石の城を  守る南条勘兵衛同国岩倉城を守
 る小鴨左衛門尉ともに秀吉に降参  す又豊國の家長中村大炊助春次  森下出羽入道道與は豊國と不和  る小鴨左衛門尉ともに秀吉に降参  す又豊國の家長中村大炊助春次  森下出羽入道道與は豊國と不和
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 を以て秀吉を防がんや我志に叶わず  を以て秀吉を防がんや我志に叶わず
-**P168 [#vf75d269] + といえども今秀吉に志を通じて彼が  力をかりて吉川?に逆臣等を  亡さんとて同五月十六日の夜に入て
-|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/375.jpg,mw:480);| +
- といえども今秀吉に志を通じて彼が  力をかりて吉川幷に逆臣等を  亡さんとて同五月十六日の夜に入て+
 豊國ひそかに城中を出らる眤近の  侍少々是に随いて秀吉の陣中に  至る秀吉大きによろこびて厚くも  豊國ひそかに城中を出らる眤近の  侍少々是に随いて秀吉の陣中に  至る秀吉大きによろこびて厚くも
 てなさる中村森下両人は城中に留  て堅く守る此時に秀吉より豊  國に遺る所の証文に曰く  てなさる中村森下両人は城中に留  て堅く守る此時に秀吉より豊  國に遺る所の証文に曰く
Line 135: Line 131:
   一出石郡之儀進之置候条無異儀  可被仰付事    一出石郡之儀進之置候条無異儀  可被仰付事
-**P169 [#nf1357a0] +** P169 [#nf1357a0] 
-|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/376.jpg,mw:480);|+ 
 +|TLEFT:||c 
 +|CENTER:&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/377.jpg,mw:320,P170);|CENTER:&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/376.jpg,mw:320,P169);| 
   右旨八幡大菩薩愛宕山相違有  間敷侯依而如件    右旨八幡大菩薩愛宕山相違有  間敷侯依而如件
    天正六(1578)  羽柴筑前守     天正六(1578)  羽柴筑前守
Line 147: Line 146:
 兵粒つきて上下ともに餓に及ぶに  よりて吉川中村森下等相議し  て福光小三郎を使として浅野弾正  兵粒つきて上下ともに餓に及ぶに  よりて吉川中村森下等相議し  て福光小三郎を使として浅野弾正
-**P170 [#d0e4b594] 
-|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/377.jpg,mw:480);| 
 少弼長政が陣に遣して城中雑兵  の一命を助け給わゞ三人ともに自殺し  て城を渡すべしという長政是を秀  少弼長政が陣に遣して城中雑兵  の一命を助け給わゞ三人ともに自殺し  て城を渡すべしという長政是を秀
 吉に申す秀吉是を免し酒食  を城中に遺(おく)らる秀吉より堀尾茂助  吉晴を検使として城を請取らしむ  吉に申す秀吉是を免し酒食  を城中に遺(おく)らる秀吉より堀尾茂助  吉晴を検使として城を請取らしむ
Line 157: Line 154:
**P171 [#e17edf2b] **P171 [#e17edf2b]
-|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/378.jpg,mw:480);+|TLEFT:||c 
-**P172 [#g029a155] +|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/379.jpg,mw:320,P172);|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/378.jpg,mw:320,P171);| 
-|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/379.jpg,mw:480);|+
**P173 [#e34a43bc] **P173 [#e34a43bc]
-|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/380.jpg,mw:480);+|TLEFT:||c 
-**P174 [#pf8f7b58] +|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/381.jpg,mw:320,P174);|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/380.jpg,mw:320,P173);| 
-|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/381.jpg,mw:480);|+宮部善祥房をして五万石の領地  をあたえて鳥取の城を守らせらる  其後秀吉帰陣の時に豊國に逢 
 +てともに京都におもむき我に属  せらるべしと有ければ豊國答て  我不幸にして不忠の者の為に 
 +国家を乱し今足下のために数代  の領地を失い他の領国と成り百  八十餘年相伝の領国を離れ人 
 +の下に立ん事は思いもよらずたゞ  ず時節をまたんと布ければ秀吉  其言葉の勇有を感心有て是を 
 +褒らる秀吉又とわれけるは  足利家より伝来の笹作の太刀有  ときく今偏る所の太刀ならん其 
 +太刀を我に見せらるべしとあり 
 + 
 +ければ豊國答えて笹作りの太刀は  鹿園院殿より先祖宮内大輔時  熈獺に譲りあたえらるゝ所にして 
 +我家の重器たりといえども今かくの  ごとくに累代の領国を離散するの  時節に至りぬれば其太刀今 
 +此に帯せずとて終に笹作の太刀  を秀吉に見せず暇を乞いて同  国村岡に暫く蟄居あり其後に 
 +摂津国河辺郡多田圧に来りて  多田氏が宅に幽居あり時に譜代  の家人等に皆暇を授け時節を 
 +待べき旨を命ぜらる多田庄に随  遂するものは田結庄宮田垣屋上野  三上浅田多賀の輩のみなり此時 
 +豊國三十四歳なり 
**P175 [#l6a7e521] **P175 [#l6a7e521]
-|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/382.jpg,mw:480);+|TLEFT:||c 
-**P176 [#e5bd332b] +|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/383.jpg,mw:320,P176);|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/382.jpg,mw:320,P175);| 
-|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/383.jpg,mw:480);|+ 
**P177 [#q7b24f3d] **P177 [#q7b24f3d]
-|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/384.jpg,mw:480);+|TLEFT:||c 
-**P178 [#pfe95c59] +|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/385.jpg,mw:320,P178);|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/384.jpg,mw:320,P177);| 
-|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/385.jpg,mw:480);|+ 
**P179 [#oecc084e] **P179 [#oecc084e]
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