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    ...名家譜/巻之八 2012-07-03 (火) 17:56:42 - 山名蔵/収蔵品/書画/画 2012-07-03 (火) 17:56:42 - 山名蔵/収蔵品/書画/書 2012-07-03 (火) 17:56:42 - 山名蔵/収蔵品/書画/文書 2012-07-03 (火) 17:56:42 - 山名蔵/収蔵品/書画/その他の書画 2012-07-03 (火) 17:56:42 - 山名蔵/収蔵品/書画 2012-07-03 (火) 17:55:44 - 山名蔵/収蔵品/像/仏菩薩 20...
  • 山名蔵[3] (496d) [ 山名氏史料館『山名蔵』のご紹介 ]
    ...品/像/妙見大士 山名蔵/収蔵品/像/摩利支天 山名蔵/収蔵品/像/高麗犬 書画 山名蔵/収蔵品/書画/仙人図 山名蔵/収蔵品/書画/村岡藩士卒族屋敷図 山名蔵/収蔵品/書画/村岡陣屋図 山名蔵/収蔵品/書画/江口君 山名蔵/収蔵品/書画/猿尾滝観瀑図 山名蔵/収蔵品/書画/矩豊公御内室図像 山名蔵/収蔵品/書画/竹田城見取図 金属工芸 山名蔵/収蔵品/金属工芸/金板経 山名蔵/収蔵品/金属工芸/青銅器 山名蔵/収蔵品/金属工芸/青銅器/爵 その他調度 山名蔵/収蔵品/その他調度/比翼の鶴 文...
  • 山名蔵​/収蔵品​/文書[4] (496d) [ 山名蔵/収蔵品/文書 ]
    Prev山名蔵/収蔵品 Nextその他調度 UpDown 山名蔵/収蔵品/文書/宗全公「与布土又三郎宛感状」 Prev山名蔵/収蔵品 Nextその他調度 UpDown
  • 山名蔵​/収蔵品​/書画​/仙人図[5] (496d) [ 仙人図 ]
    Prev Next 山名蔵/収蔵品/書画 仙人図 仙人図 円山応挙と言えば襖絵・幽霊画で有名である。 この仙人図は、画聖が弟子を伴い作画している時に、「絵から描いていた物が飛び出してしまう」といった情景...スな題材に親しみを感じさせる。格調高い応挙とは一風変わった面を感じさせる。 年代 備考 豊岡藩・京極家由来の軸。 他の応挙作品→江口君 写真 QRコード Prev山名蔵/収蔵品/書画 Next村岡藩士卒族屋敷図 Up
  • 山名蔵​/収蔵品​/書画​/村岡藩士卒族屋敷図[6] (496d) [ 村岡藩士卒族屋敷図 ]
    Prev Next 山名蔵/収蔵品/書画 村岡藩士卒族屋敷図 村岡藩士卒族屋敷図 年代は定かではないが、図中屋敷の主人名から過去帳を調べると(明治40年没)、村岡陣屋図と同じ幕末に掛かれたものであろう。 廃藩置県等、知行体制が急変し、村岡藩自体を片付けなければならない状況となり、藩主山名氏をはじめ村岡を離れなければならない重臣も数多くあったかと思う。 家臣の財産の整理を行うにしても、各屋敷の敷地面積等を参考に処理を行ったものと思える。そのためにこの図面が作られたのではなかろうか? 明治の入り村岡藩の...
  • 山名蔵​/収蔵品​/書画​/村岡陣屋図[7] (496d) [ 村岡藩陣屋図 ]
    Prev山名蔵/収蔵品/書画 Next村岡藩士卒族屋敷図 Up 村岡藩陣屋図 村岡藩陣屋図 明治維新を迎え武家社会はその終焉を迎える。大名はその身分を華族と変えて東京に集められ、各藩の城や陣屋はそ...や絵等にその城や陣屋の記録を留めようとする。 この陣屋図もその一つ。時代の移り変わりに際し、村岡陣屋を写し留めたもの。 年代 明治初年 備考 写真 QRコード Prev山名蔵/収蔵品/書画 Next村岡藩士卒族屋敷図 Up
  • 山名蔵​/収蔵品​/書画​/江口君[8] (496d) [ 江口君 ]
    Prev Next 山名蔵/収蔵品/書画 江口君 江口君 襖絵・幽霊画で有名な円山応挙による美人画。 題材の「江口」は、昔から画題として好まれた能の「江口」の一場面とか? 白象にゆったりと腰かけている遊女。その手には何やら難しそうな文を持ち読みふけっている。 文殊菩薩は獅子に跨り、普賢菩薩は白象に乗って現れる。 象に乗る遊女は実は遊女に非ず。法華経の守護者普賢菩薩の化身か。手に持つ文は法華経かもしれない。 年代 備考 応挙にしては珍しい美人画。 人物の表情から着物や帯の柄まで、写実派と言われる応挙の...
  • 山名蔵​/収蔵品​/書画​/猿尾滝観瀑図[9] (496d) [ 猿尾滝観瀑図 ]
    Prev仙人図 Next村岡陣屋図 Up 猿尾滝観瀑図 猿尾滝観瀑図[添付] 年代 備考 写真 QRコード Prev仙人図 Next村岡陣屋図 Up
  • 山名蔵​/収蔵品​/書画​/矩豊公御内室図像[10] (496d) [ 矩豊公御内室図像 ]
    Prev Next 山名蔵/収蔵品/書画 矩豊公御内室図像 矩豊公御内室図像 村岡山名第三代藩主。父・豊政から寛永5年(1628)に10歳の年で家督を譲られる。 参勤交代制度が確立した寛永19年(1642)には、村岡山名として初めて領地・七美郡に入部する。 藩主入部に併せて、山名藩は藩の中心地を旧来の兎塚(美方郡香美町村岡区福岡)から、小集落であった村岡(旧称:黒野村)に移し城下町としての街造りを進める。 村岡山名初代藩主・豊国公の墓所を妙心寺から分祀し、領内の地形的中心地で一二(ほい)峠に御廟を建...
  • 山名蔵​/収蔵品​/書画​/竹田城見取図[11] (496d) [ 竹田城見取図 ]
    Prev 山名蔵/収蔵品/書画 ページ内コンテンツ 竹田城見取図 年代 備考 写真 「竹田城見取図」 の復刻発行 竹田城見取図 竹田城見取図 竹田城別名を、山上に虎が伏せた様な状景から「虎臥城」とも。 山名持豊の命によって築城され、太田垣光景が初代城主、以降山名四天王の太田垣氏が歴代城主を務める。 生野銀山にも近いこの地は室町時代から山名・赤松が播但に分かれて、この地を境に幾度となく争ってきた。 戦国時代には豊臣秀吉の但馬征伐によって、但馬山名は終焉を迎え竹田城も羽柴秀長が城主となる。 その後、城主...