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山名の定紋は、 のソース :: 山名氏史料館『山名蔵』のページ

xpwiki:山名会/刊行物等/会報第1号から/家紋についてのソース

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*山名の定紋は、 [#fe6b2bd0]
正紋が「五七桐七葉根笹」、替紋が「糸輪二ツ引両」、どちらも他氏には類を見ない紋である。
桐紋は、古来尊貴の御紋として知られるが、足利氏が幕府を開いた功により拝領し、以後、重臣に与えたものであろう。その下に七葉根笹を二つ並べたことについては二説がある。
|=五七桐七葉根笹|=糸輪二ツ引両|h
|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/67.png,mh:240,五七桐七葉根笹);|=&ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/40.png,mw:240,糸輪二ツ引両);|

*五七桐七葉根笹 [#f586aca7]
#ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/67.png,mw:120,五七桐七葉根笹,around,right)
+その一は、明徳の乱の折、一族同志のこととて、敵味方の区別がつきにくいため、五条橋下に流れていた笹の葉を旗に結びついて、即席の目じるしにしたのがおこりだという。
+今一つは、室町幕府における大功により、将軍義満公より、源家の重宝笹造り太刀を拝領したことを記念して、定紋としたともいう。
因みにこの笹造りの太刀は、羽柴秀吉が山名豊国公に所望したが断られたことがある。常に豊国公の座右に備えられていたが、ある時駿河蒲原の駅で止宿中、出火にあい、家重来の秘宝とともに烏有に帰したそうである。
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*なお、糸輪二ツ引両については、 [#yd3410ba]
#ref(http://www.yamana1zoku.org/uploads/photos/40.png,mw:120,around,right,糸輪二ツ引両)
かつて、三ツ引両を用いていたところ、三浦氏の紋とまぎらわしく、かつ、三つ引山名はサンザンと通じて吉悪しと、義満公(家譜では家康公となっている)の仰せにより、このように改めたとされる。
いずれにしても、世間一般の丸に二引両(どの線も同じ太さで描かれている)とは、一味違ったデザインであることにご注意願いたい。
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