ページへ戻る

− Links

 印刷 

竹田城見取図 :: 山名氏史料館『山名蔵』のページ

xpwiki:山名蔵/収蔵品/書画/竹田城見取図


ページ内コンテンツ
  • 竹田城見取図
  • 年代
  • 備考
  • 写真
  • 「竹田城見取図」 の復刻発行

竹田城見取図 anchor.png[3]

竹田城見取図
竹田城見取図, 101.jpg[4]

竹田城別名を、山上に虎が伏せた様な状景から「虎臥城」とも。
山名持豊の命によって築城され、太田垣光景が初代城主、以降山名四天王の太田垣氏が歴代城主を務める。
生野銀山にも近いこの地は室町時代から山名・赤松が播但に分かれて、この地を境に幾度となく争ってきた。

戦国時代には豊臣秀吉の但馬征伐によって、但馬山名は終焉を迎え竹田城も羽柴秀長が城主となる。
その後、城主は桑山重晴、赤松広秀と代わり、現在の城郭を完成させたのは赤松広秀といわれる。

関ヶ原の合戦後、広秀は鳥取城攻めに加わるが、城下に火を放った咎により家康から切腹を命ぜられ、竹田城は廃城とる。
この竹田城の受け取りに出向いたのが山名豊國(禅高)と言われる。
山名氏にとっては、因縁浅からぬ竹田城といえる。

Page Top

年代 anchor.png[5]

原図には「弘治2年(1556・城主:太田垣朝延の代)現図」を出石の中山東華が複製したものと記述がある。
この見取り図自体はは平成元年に複写刊行したもの。

Page Top

備考 anchor.png[6]

竹田城は近年、雲海に浮かぶ様から「天空の城」とも言われ、写真撮影に・登城に人気を博している。
中腹駐車場の脇に山名赤松供養塔[7]が有る。

Page Top

「竹田城見取図」 の復刻発行 anchor.png[12]

山名氏の有縁者を中心とする歴史親睦団体、全國山名氏一族会(略称:山名会)では、来る11月13日に京都華頂大学「華頂ホール」を会場に実施する第23回山名会総会(及び、山名会歴史講演会)の記念資料として、『竹田虎臥城見取図』(以下:見取図)を28年ぶりに復刻刊行致します。(限定400部)

復刻版「虎臥城見取図」(原画:中山東華)
復刻版「虎臥城見取図」(原画:中山東華), 1161.jpg[13]
詳しくは山名会​/活動​/H28山名会総会​/虎臥城見取図をご覧下さい。


Last-modified: 2022-12-11 (日) 16:12:44 (JST) (494d) by admin