
去る11月19日~20日にかけて第29回山名会総会及び、総会関連行事として歴史探訪の小旅行も実施しました。
今回の総会行事には、25名の皆さんにご参加頂き、福山を起点に尾道・東広島と秋が深まった備後路を巡りました。その行事の概要をご報告します。
第1日目(11月19日)
総会予定日の数日前から寒気が入り込んで少し不安定な気候となり、行事への影響を心配しましたが、当日は少し寒さが残ったものの、西に向かって行くほどに天候も回復し、行事期間中は傘の心配は要らないようです。
第1日目日程表
日程表を表示/非表示
| 地域 |
時刻 |
予定・行事 |
備考 |
| 福山 |
12:15 |
JR福山駅南口に集合 |
新幹線の案内資料ご参照、昼食は済ませてお集まりください。 |
| 12:20 |
バス移動 |
福山駅→福山城、バスは福山城博物館駐車場で待機 |
| |
福山城見学 |
初期の福山城は山名氏の居城であった神辺城より櫓等が移築されていた。
最初、ガイド先導による城内見学後、出発時間まで天守閣を見学。 |
| 13:30 |
バス移動 |
福山城→西国寺 西国寺では裏参道入口で下車。お寺まで徒歩300m |
尾道
|
14:30 |
西国寺参拝 |
山名氏が尊崇した寺院。金堂(1386年建立)は、守護職であった山名氏の寄進。三重塔は足利六代将義教公が建立。 |
| |
福善寺経由で徒歩移動 |
以降、地元観光ガイドに案内を依頼し、徒歩移動。 |
| 15:30 |
千光寺ロープウェイ |
15分ごと出発。最終は17:15。 |
| |
千光寺参拝 |
尾道を代表する風光明媚な寺院。 |
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千光寺公園を通り下山 |
高所にある千光寺から眼下に広がる尾道の眺めを楽しみながら散策。 |
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天寧寺 |
足利尊氏・義詮が尊信した寺。義満公の厳島詣の際、山名時煕公が接待した舟橋のエピソードが伝わる。時間が遅いので外部から参拝。 |
| 17:00 |
バス移動 |
バス駐車場→宿舎 |
| |
宿舎着 |
尾道国際ホテル。一旦、チェックイン。 |
| 17:30 |
懇親会場へ |
ホテル→バス移動→竹村家 |
| 18:00 |
年次総会 |
懇親会前に総会を実施 |
| 18:30 |
懇親会開会 |
懇親の夕べ。 建物は有形文化財になって居り、幾つかの映画の尾道ロケの舞台にもなった旅館で、地元の味を堪能。 |
| 19:30 |
閉宴 |
送迎バスか、タクシー分乗で、ホテル帰着。 |
福山駅集合
今回は全体で25名の参加で、その内4名の方が自動車2台での参加でした。
バス利用の参加者は12時過ぎに、福山駅南口に集合とご案内していましたが、事務局としては予定通りの時間に全員が集合できるかが不安でしたが、皆さん各方面からご案内していた新幹線に無事に乗られて、予定時間よりも早く全員が揃われ、一安心でした。
福山城
バス乗車後は福山駅の北側まで駅を大回りして福山城博物館へ、此方で自動車利用の参加者の皆さんとも合流も出来て、いざ、お城を目指します。 福山城 此方では、福山城のボランティアガイドの方に、お城についての大まかな歴史や成り立ちについて説明をして貰い、今は姿を留めて居ませんが、山名氏時代の備後国守護所であった神辺城から移築された櫓の跡についても教えてもらいました。今回は訪問出来なかった神辺城の名残を福山城で少し感じられたような気がします。 今の福山城は令和4年に築城400年の大改修を行い、天守閣内の展示を一新し体験型展示も増やして、魅力の有る内容でしたが、短時間の見学時間しか取れなかったのが残念なところでした。

福山城天守閣 |

福山城で観光ボランティアガイドさんの説明を受ける |

福山城と隣接する福山駅 |

福山城内、神辺四番櫓跡の碑 |
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西国寺
福山城から50分余り西にバスで向かうと尾道です。バスは2号線バイパスをおりて山側の参道から西国寺を目指しました。西国寺は奈良時代に行基菩薩によって開かれたお寺で、かれこれ1300年の歴史を有します。室町期に備後国の守護職となった山名氏は、火災に遭った西国寺復興に手を貸しており、現在に伝わる金堂は、山名氏による再建と言われています。また、山上にそびえる三重塔は足利6代将軍義教公の寄進によるものです。今回は、持仏堂に上げていただいて、参加者全員で般若心経のお勤めを行い、山名先人の証大菩提と一族繁栄をお祈りしました。
尾道市街散策
西国寺参拝の後は、尾道市の観光ガイドの方に道案内をお願いして、3つのグループに分かれて、小路が入り組む坂と港の町である尾道を歩いて巡りました。
市街地巡りの途中に福善寺という浄土真宗のお寺があります。行事直前に知ったのですが、ここの歴代住職は、代々、大田垣姓が続いているとのことでした。その歴史を見ると、播磨の亀山御坊で出家得度した(大田垣)行英法印が1573年に開山したとのこと。
お寺の説明にも竹田城の太田垣との繋がりが記してあるので、山名氏の播磨経営からの撤退、但馬山名の没落等により、武家から仏門に入った山名縁者も多いのですが、此方の開基もその中のお一人かも知れません。
西国寺山を下って市街地に入ると、次には千光寺山に登るためにロープウェイの駅へと向かいます。ロープウェイは標高差130メートルを3分ほどで登り、全く異なる景観が見渡せるところに連れて行ってくれます。

西国寺下の小道 |

西国寺から福善寺に向かう小道 |

福善寺の境内 |

福善寺門前の石段 |
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千光寺山~天寧寺
この千光寺山の頂上から、しまなみ海道つたいに対岸の四国まで広がる眺望を楽しんだ後に、文学碑が随所に設置されている小径を下ります。昔は砦の跡であったと言われる、巨岩や岩肌を巧みに活かした千光寺境内を参拝して、徐々に近づいてくる麓の景色を楽しみながら、天寧寺まで下ってきました。
天寧寺は、山名時煕公が、厳島詣での帰りに立ち寄った足利3代将軍義満公を御接待したお寺と聞きます。
天寧寺下の浜辺から、沖合に停泊した御座船まで、並べた小舟の上に板を渡して仮設の橋を作り、将軍をお招きしたという舟橋の故事が有名です。しかし、義満公からお褒めを頂いた翌年、時煕は足利に対し不遜な所が有ると義満公の怒りを買い、伯父の山名氏清に時煕を成敗するように命じて、明徳の乱へと至ります。そう思うと尾道は、山名にとって念願の地であったと同時に、因縁の地であるとも言えます。

ロープウェイで一気に山頂へ |

千光寺山中腹から尾道水道を望む |

千光寺境内からの眺め |

天寧寺三重塔を望む |
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年次総会・懇親会
天寧寺から麓のバス駐車場へ着くと時刻は5時を少し回っており、周囲は既に暮色に包まれていました。ここでバスに乗車し宿舎のホテルに一旦チェックインして、その後、総会と懇親会の会場である竹村家へと移動をしました。
竹村家は、尾道水道に面して建つ明治創業の料理旅館で、建物自体が国の登録有形文化財に指定されているという立派な会場です。今回は会員さんのご紹介で使用させてもらいました。会場の二階大広間からは、昼間ならば海を行き交う船や対岸の様子もよく望めるのですが、夜でしたので、港や船の明かりぐらいしか見えないのが少し残念なところでした。
懇親会前の30分ほどを使って、山名会の年次総会を実施し、7年度の報告と8年度の計画について相談を行いました。来年度の行事としては、没後400年を迎える山名氏中興の祖である山名豊国公の400年祭を中心行事として計画を進めていくことを確認しました。(別紙に総会資料を作っていますので、そちらもご覧下さい。)
年次総会の固苦しい話が続いた後は、御膳の掛紙を外して、竹村家さんがご準備くださった、心のこもったお料理を頂きつつ、山名会の活動に関する話、各家のご先祖の話と様々に情報交換を行いながら夕食を楽しんで、本日の疲れをほぐす一時を持つことが出来ました。
懇親会の様子 竹村屋
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懇親会の様子 竹村屋
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第2日目(11月20日)
明けて第2日目は、尾道から三原~東広島~広島と巡るルートを計画しており、今回の山名会行事にもご参加頂いた山名征三氏が25年の歳月を掛けて作り上げられた仙石庭園の拝観を中心に設定しました。
第2日目日程表
日程表を表示/非表示
| 地域 |
時刻 |
予定・行事 |
備考 |
| 尾道 |
8:00 |
朝食 |
|
| 8:30 |
バス出発 |
尾道市→国道2号→三原市→県道25号を経由 |
| 三原 |
9:10 |
御調八幡宮 |
備後国総鎮護の八幡宮、旧社殿は足利尊氏するなど、源氏との関係も深い。
紅葉と色鮮やかな社殿を楽しみながら、散策したいと思います。 |
| 9:40 |
バス移動 |
三原市→高速利用→西条IC→仙石庭園 |
|
東
広島
|
10:40 |
仙石庭園
庭園散策 |
山名征三氏が現代の大名庭園の目指して作庭された庭であり、岩石専門の博物館。山名苑長にご案内いただける。 |
| 12:00 |
昼食 |
庭園内のレストランで「石庭松花堂御膳」を賞味。 |
| 13:00 |
バス移動 |
仙石庭園(東広島)→西条IC→高速利用→広島IC→市内 |
| 広島 |
14:00 |
広島城 |
ガイドを依頼して、広島城内・天守閣見学、護国神社等参拝等 |
| 15:30 |
JR広島駅で解散 |
新幹線の案内資料ご参照 |
御調八幡宮
バスは先ず、尾道の隣の三原市にある御調八幡宮へと向かいます。
御調という読みにくい地名ですが、地名の語源は朝廷に納める租・庸・調の調(みつぎ・各地の特産品)からついた地名らしく、この地が山陽道と銀山街道の交差する地域だったので、様々な貢ぎ物がこの地を経由して納められたことからついた地名かもしれません。
御調八
幡宮は道鏡事件で、宇佐八幡神の正しい神託を朝廷に伝えた和気清麻呂が、道鏡の怒りを買い大隅に流罪になるのですが、清麻呂の姉である広虫もこの地に流罪となり、持ってきた円鏡に宇佐八幡神を勧請して清麻呂の無実が晴れることを祈念したのが八幡宮の始まりと言います。その後は石清水八幡宮の別宮となり備後国総鎮護の神社に発展します。この神社には足利氏が寄進した狛犬が今に伝わり、重要文化財に指定されているそうです。
この神社では、朱色鮮やかな屋根付橋を渡ってまだ朝の冷気が残る中、季節の紅葉を楽しみました。趣深いところでしたので、時間が取れれば昇殿の上、参拝や宮司様にお話しを聞きたかったのですが、今回は自由参拝とさせて貰いました。

御調八幡宮の鳥居と屋根付橋 |

屋根付橋と干支絵馬 |

屋根付橋と干支絵馬 |

御調八幡宮の境内 |
仙石庭園
医師であり造園家でもある山名征三氏が現代版大名庭園を目指して、25年の歳月を掛けて作り上げたのがこちらの仙石庭園です。広さが40,000㎡(甲子園球場の1.1倍)の広大な空間には変化に富んだ表情の庭が造られています。各地の様々な銘石がよく手入れされている庭木をバックに鎮座し、庭園の種類も、枯山水から、大滝から水が流れ落ちる庭園、池を中心とした池泉庭園など見学ルートには多種多様な庭が控え、見飽きることが有りません。この庭園を山名苑主自らのご案内で巡らせて貰いました。
庭園散策の後は、施設内のお食事処で季節のご馳走を詰め込んだ松花堂の昼食をお世話になりました。
庭園だけでも来園者を充分に楽しませてくれますが、食事まで提供する場を設けて、お腹も満たして貰えるので、ここは正に銘石のテーマパークと言えば良いのでしょうか。
また、「仙石庭園」は、日本で唯一の銘石に関する公益法人立の博物館として学術資料の展示や研究、保管の役目も有しています。多くのスタッフの皆さんに支えられて、今後も益々発展を続けて行くかと思うと、将来が楽しみです。また、訪れてみたいところです。

庭園についての説明を受ける |

幾つもの庭があり様々な銘石を配置 |

まるで百万石の大名庭園の風格 |

大池に注ぐ、落差15メートルある大滝 |

石それぞれに物語にがある |

山名苑主が著したご本
アマゾン書店で購入できます。 |
広島城
午後の出発は1時の予定でしたが、参加者の多くの皆さんは山名苑主が著された『-奇跡の地球庭園-仙石庭園』(
アマゾン書店で購入できます。)を買い求められていて出発時間が15分ほど伸びてしまいました。
広島城でも地元のガイドさんに案内をお願いして、表御門から入場して護国神社参拝や広島大本営跡の見学等をした後に、自主見学の形で広島城天守閣に向かったのですが、尾道や福山とは外国人観光客の多さが違って、天守閣内では、流れに沿って進まないと迷惑が掛かるような感じで、時間も限られる状況でしたので、一通り巡ったような見学となってしまいました。
広島の観光ガイドさんは、我々が遅れてきた為に十分な説明が出来なかった事を気にされて、広島城から広島駅に向かうバスに乗車していただいて、出来なかった広島に関するガイドの続きを時間までお話ししていただきました。
遅刻してご迷惑を掛けたのは我々の方ですのに、観光ガイドさんには最後までお付き合い頂き、誠に有り難う御座いました。

毛利公の前で一枚。ガイドさんが撮影 |

大賑わいの広島城でした |
広島駅解散
広島駅到着は午後3時半でほぼ予定通りの解散となりました。大概の方は午後4時台の新幹線を予定しておられて、充分間に合いそうでした。みなさん気をつけてお帰りください。
何時ものことですが、歴史探訪行事が終わってみると、つい、見学予定を欲張って詰め込み過ぎてしまい、その結果、時間の遅ればかり気にするような事になってしまいます。重大な反省点です。
次回は、見る場所を絞り込む。時間に余裕を持たせる。を心がけた計画を立てたいと思います。
来年は豊国公400年遠忌に関する行事を考えて居りますので、ゆったりとした時間割で行事を行えるように計画したいと思います。計画がまとまりましたら、行事へのご参加を、どうかよろしくお願い致します。
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